2012年1月10日火曜日

Jeffrey Eugenides, _The Marriage Plot_

年が明けてから10日間もたってしまいましたが、遅ればせながら明けましておめでとうございます。2011年は、前半を日本で過ごしたこと、そしてそのあいだに震災が起きたことで、自分と日本社会との関係を考え直すことになりました。また、5月のアマチュア・ピアノコンクールでの経験は、いろいろな意味で自分の世界を広げ深めてくれました。私の身近にはとても悲しいこともあったけれど、素敵な出会いもたくさんあり、また、以前からの友達や知人と新たな関係を築くこともできて、とてもいい1年でした。研究者としても教育者としても執筆者としても、そしてピアノにおいても人間関係においても、より高きを目指す2012年にしたいと思っています。


さて、しばらくブログからご無沙汰していた理由は主にふたつ。ひとつめは年末年始の10日間をプライベートに徹して楽しく過ごしていたこと。詳細はヒミツ。(ムフフ)


ふたつめは、その10日間が終わってから新学期が始まるまでのあいだに、買ってあったJeffrey Eugenidesの新しい小説、The Marriage Plotを読んでしまいたくて、それに没頭していたこと。つい先ほど読み終わったところです(ちなみに新学期は昨日始まりました)。最後の部分はしゃくりあげながら読みましたが、読み終わってしばらくは、ひとりでじっくり思索にふけりたい気分になりました。物語として純粋に楽しめ、単純に「次がどうなるのか知りたい」という気持ちでページを次々とめくるような小説でありながら、知的にも情感的にも精神的(英語でいうところのspirituallyを指しているのですが、「精神的」というのはちょっと違うけれど、他によい日本語が思いつかない)にも大きな波に押されているような気持ちになる、傑作です。


この本を読みたいと思ったひとつの理由は、いくつかの書評を読んで、この小説の舞台が私が大学院時代を送ったブラウン大学であり、しかも、英文学を専攻する女性主人公が、自分の知的世界をとりまく脱構築などの批評理論と自分自身の現実の恋愛とのあいだで格闘する話だということを知っていたからです。物語は、アメリカの学界でデリダやバルト、フーコー、ラカンなどのヨーロッパとくにフランスの批評理論が全盛期であった1980年代前半に展開されます。私がブラウンにいたのはそのちょうど10年ほど後ですが、私が受けた教育や大学の文化はそうした理論の影響をおおいに受けたものだったので、まずは批評理論が小説でどのように取り扱われているのかに興味がありました。もちろん、アメリカの大学でのこうした批評理論をめぐる文化や言説を題材にとった小説は他にもたくさんあるのですが、ブラウン大学が舞台となると個人的な関心が増大。ブラウンと関係のない読者にはなんのことだかさっぱりわからないであろう、建物や場所や通りや店の固有名詞が散りばめられていて、私は小説の初めの三分の一くらいは、読みながらすっかりホームシックになりました。小説の初めのほうに、Madeleine's love troubles had begun at a time when the French theory she was reading deconstructed the very notion of love.という一文があるのですが、この文が象徴するように、この小説の脱構築の取り扱いは、ユーモアに満ちていると同時に、真剣で切ない。こむずかしい用語を濫用して訳のわからないことを自己陶酔的に語り続ける学者や学生を揶揄するような描写をした小説はいろいろありますが、この作品では、これらの理論に陶酔する学生たち、そしてそれと格闘し困惑する学生たちの姿を通して、批評理論や文学作品を通してまさに人生の意味を理解しようとする知的な若者たちの真摯な葛藤がとてもリアルに描かれています。


そしてまた、この女性主人公は、小説が文学ジャンルとしての権威を確立した時期でもあり、女性が法的にも経済的にも社会的にも安定した地位を得るのには適切な男性との結婚が必要不可欠であったヴィクトリア期の英米文学における結婚を取り扱った卒論を書きつつ、自分の将来が見えないまま大学を卒業し、まったく違ったタイプのふたりの男性との複雑な三角関係のなかで、自分の恋愛、結婚、勉学、生活を模索していきます。つまり、この主人公を通じてヴィクトリア小説を現代に置き換えることで、作者は、現代においても「小説」は可能か、という文学的な問いにも向き合っているのです。(このあたり、水村美苗さんの本格小説に通じるところも。)


主人公をそれぞれの形で愛するふたりの男性がまたたいへん興味深い。ふたりとも、「ブラウン大学みたいなところには、こういう人たちがいるんだよなあ」というような、とてつもない頭脳の持ち主でありながら、賢いがゆえに何事にも簡単に答を出そうとはせず、自分の生きる道についても不安や疑問を抱えて世に出る。ひとりは生物学の研究助手として立派な第一歩を踏み出しながらも、重度の躁鬱病を患い、この病が自分自身にも恋人との関係にも深く影を落とす。もうひとりは大学で宗教を専攻し、卒業後世界を旅し、カルカッタでマザーテレサのもとでしばしボランティアをしたりしながら、宗教について真剣に悩み、自分の精神性を模索する。このふたりの男性を通して精神病と宗教が対の構造に置かれているのですが、だからといってこの小説は、宗教とは単なる妄想だとかイデオロギーだとかいった乱暴なメッセージを提示しているのではありません。物語の終盤、ふたりの男性が思いがけずあるパーティで顔を合わせ真剣に議論をする場面があるのですが、それからさらにしばらくしてこの議論の内容が明かされる部分から小説の最後にかけては、私はもうそれこそ、知的にも情感的にも精神的にも圧倒されっぱなしでした。


他にも言いたいことはたくさんあるのですが、こんなすごい作品を前にしては、なにをどう言葉にしてよいものやら、自分がとても小さく思えてしまいます。ピュリツアー賞を受賞したEugenidesの前作品Middlesexは、私はどうも入り込めずに終わったのですが、もう一度読み返してみようと思いました。ソフィア・コッポラによって映画化された初小説The Virgin Suicidesもぜひ読もうっと。


あまりにも面白かったので、ネットでEugenidesのビデオをいくつか見てみましたが、こちらの講演がとくによかったです。私は小説の一部を朗読されてもじゅうぶんに味わえないことが多いのですが、後半の質疑応答はとてもよいですので見てみてください。


とにもかくにも、2012年の最初に読んだ小説がかくも素晴らしい作品であったということは、この先がよい1年になることを暗示しているような気が勝手にしています。