2011年6月29日水曜日

オンライン・デーティングふたたび

そもそもこのブログは、2008年に発売となった拙著『ドット・コム・ラヴァーズ』にからめて、アメリカの恋愛・結婚・性にまつわる話題、そして現代アメリカ事情などを紹介するものとして始めたのですが、それ以来、投稿のトピックはずいぶんと広がり、私自身の興味という以外になんの脈絡もなくなってきました。と思っていたところ、現在発売中の『ニューヨーカー』誌に、『ドット・コム・ラヴァーズ』の初心に立ち返る(?)ような記事が。

オンライン・デーティングについてのけっこうな長文記事なのですが、さすが『ニューヨーカー』だけあって、内容・文章ともにたいへん充実していてウイットに富んでいる。1960年代に、今でいう「オンライン・デーティング」の原型となるものが誕生した歴史から掘り起こしているのがなかなか面白いし、記事の著者本人は人生において2度だけしたことがある「デート」のふたり目の相手と幸せな結婚生活を営んでいるゆえ、自らはオンライン・デーティングをしたことはないのだが、この記事執筆にあたり、オンライン・デーティング経験者の女性に数多くインタビューし、そのインタビュー自体が一種の「デート」のような雰囲気もあったというのがなんとも興味深い。『ドット・コム・ラヴァーズ』でも、インターネットを介した人の出会いがなんだか怪しげなものと思われている日本と違って、アメリカではオンライン・デーティングがきわめてメインストリーム化していて、年齢や社会階層・職業を問わず、「ごく普通」のものとなっていることを書きましたが、この記事によると、オンライン・デーティングは、現代アメリカにおいて、男女のもっとも一般的な出会いの方法の第3位(第1位は「職場・学校で」、第2位は「友人・家族を通じて」)、6組に1組はオンライン・デーティングで知り合ったというほど、出会いの方法として一般化しています。それだけ一般化しているならば、サイトに登録している人たちの利用法もそれに呼応して洗練されてきているかというと必ずしもそうではなく、一般化・大衆化しているからこそ、どんな人物が登録しているかわからない、という側面もあり、デートに出かけた相手が犯罪歴のある人物だった、などという事例もきちんと取り上げています。

私にとって面白いのは、オンライン・デーティングにみられる人間模様をめぐる洞察やコメント。なかなか鋭くて気がきいている文が記事のあちこちに見られます。たとえば(訳すのが面倒なのでそのまま載せますが、とくに難しい英語ではないので、このブログを読んでいる人ならばだいたい理解できると思います)...

The dating profile, like the Facebook or Myspace profile, is a vehicle for projecting a curated and stylized version of oneself into the world. In a way, the online persona, with its lists of favorite bands and books, its roster of essential values and tourist destinations, represents a cheaper and more direct way of signalling one's worth and taste than the kinds of affect that people have relied on for centuries--headgear, jewelry, perfume, tattoos. Demonstrating the ability, and the inclination, to write well is a rough equivalent to showing up in a black Mercedes. And yet a sentiment I heard again and again, from women who instinctively prized nothing so much as a well-written profile, was that, as rare as it may be, "good writing is only a sign of good writing." Graceful prose does not a gentleman make.

この最後の二文、私のような人間には耳が痛い。私は、知性に満ちてきちんとした文章を書ける人、こちらが書いていることをちゃんと理解して反応していることを示す中身のあるメールを書ける人、ということをとにかく重視してしまうのですが、つき合うようになってからメールでずっとやりとりするわけじゃなし、文章至上主義には大いなる限界がある、ということに私も気づいてきました。

It is an axiom of Internet dating that everyone allegedly has a sense of humor, even if evidence of it is infrequently on display. You don't have to prove that you love to curl up with the Sunday Times or take walks on the beach (a very crowded beach, to judge by daters' profiles), but, if you say you are funny, then you should probably show it. Demonstrating funniness can be fraught. Irony isn't for everyone. But everyone isn't for everyone, either.

この「ユーモアのセンス」というのが、アメリカではとくに重視されがちなだけに、その感性が合っていることはかなり重要なポイント。この最後の一文は簡潔にして雄弁。この文、入試の日本語訳の問題として出題したら、面白いだろうなあ。(笑)

Gregory Huber and Neil Malhortra, political scientists at Yale and Stanford, respectively, are sifting through OK Cupid data to determine how political opinions factor in to choosing social partners. Rudder, for his part, has determined that Republicans have more in common with Republicans than Democrats have in common with Democrats, which led him to conclude, "The Democrats are doomed."

え〜、そんな〜!ショック!

ちなみに、日本では、インターネットを介した出会いというのは若者のするものというイメージがあるかもしれませんが、アメリカでは、オンライン・デーティングの利用者でもっとも急速に拡大しているのは、50歳以上の男女だということです。そうした中高年の「デート」事情も実例を詳しく取り上げながら考察していて、たいへん面白いです。『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んでくださっている方には、楽しめると思うので、是非読んでみてください。