2011年5月1日日曜日

平田オリザ・演劇展

ただ今、こまばアゴラ劇場で、『平田オリザ・演劇展vol.1』を開催中。このブログでも以前に書いたように、平田オリザ氏の仕事には前から興味をもっていて、また、文化政策の研究の一環で、平田氏が内閣官房参与として出席している文化庁や芸術文化基金の各種検討会の傍聴に通ったりしていることもあり、なるべく足を運ぶつもりでいます。先日は、『マッチ売りの少女たち』(こちらは別役実原作で、平田氏の演出)、今日は『走りながら眠れ』(こちらは平田氏の作・演出)を観てきました。『マッチ売りの少女たち』は、演出そして演技は素晴らしかったけど、脚本はどうも解せないというのが正直な感想。『走りながら眠れ』は、アナキスト大杉栄とその妻伊藤野枝の日常の会話を描いたもの。ふたりのやりとりはきわめて日常的で他愛もないものでありながら、社会正義を追求し知を探求し革命に身を投じる二人の人間性や、ふたりのあいだに流れる温かい愛情と尊敬を、平田氏の演出とふたりの役者さん(大杉栄を演じるのは古屋隆太さん、伊藤野枝は能島瑞穂さん)の演技が鮮やかに描き出していました。実にシンプルな舞台の上で、何気ない仕草や身体の動きで、それぞれの人物のはにかみや情熱や色気や欲求や困惑や決意を表現する、演劇ってすごいなあと素直に感動。この演劇展は、今月17日まで続きます。舞台の後に上映される、平田氏の映像もなかなか興味深いです。機会のあるかたは是非。

あさってからは、紆余曲折を経て結局プログラムを大幅に変更・縮小して開催にいたったラフォルジュルネが東京国際フォーラムで始まります。本当は、このイベントをさまざまな角度から取材させていただくという話があったのですが、震災の影響で開催そのものが一度とりやめとなり、その後またプログラムを変更して開催となったといういきさつから、事務局のかたはとてもじゃないけれども私の取材の案内などをしている場合ではなく、ともかくいくつかのコンサートに行って自分で歩き回ることにしました。取材のプレッシャーなく純粋に音楽を鑑賞するのも、それはそれで楽しみです。

文化イベントといえば、いよいよ今月後半にせまったアマチュア・クライバーン・コンクール。毎日数時間せっせと練習に励んでいますが、そうこうしている間に、2009年のコンクール見学のときに隣の席で仲良くなったジェリーさん(といわれてもなんのことだかわからないかたは、『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』を参照してください:))から、数日毎にメールがあります(一日に何度もメールが来ることもあります)。「このあいだノブ(辻井伸行さん)がフォートワースで演奏をしにきたので聴きに行ったが、コンクールのときよりさらに素晴らしい演奏で、忙しいスケジュールのなかでもちゃんと芸術性を伸ばしているのをみて安心した」とか、「僕と同じ通りに住んでいるクラウディアという女性が、クライバーン・コンクールの舞台裏で演奏者の面倒をみるボランティアを何十年もしていて、アマチュア・コンクールでも君たちの世話をするはず。彼女はあれこれ指図するけど、なんでもよく知っているので、彼女の指図はちゃんと聞いて従うべし」とか、「ロン(2009年に私とジェリーさんと一緒の列に座ったもうひとりのおじさん)もマリと一度食事をしたいと言っている。もちろんマリは日曜日の本選まで演奏が続くことを祈っているから、全部が終わるまでそんな余裕はないかもしれないけど、どうかな?」とか、「万が一予選を通過しなかったら、残りのプログラムをプライベートなリサイタルで演奏するかい?そうしたかったら、僕がどこか会場を確保できると思う」とか。別にコンクールの運営に直接かかわっているわけでもなく、単なる街の一音楽愛好家である彼が、よくもまあアマチュアのピアノ・コンクールにここまで熱心になるなあと、感心もするし感動もするのですが、『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』でも書いたように、こうした街の人々の純粋な熱意が、芸術文化を育てるのだと思います。今日の舞台の後で上映された映像のなかで、平田オリザ氏は、社会における芸術の役割は大きく分けて(1)芸術そのものの意義、(2)コミュニティの育成や活性化、(3)教育・福祉・観光などの公共的な効果、という三つにある、ということを述べていましたが、そうした視点から考えると、クライバーン財団は見事にそれら三つの役割をこなしているのだと改めて感心します。ジェリーさんがそこまで言ってくれているのに、私の演奏がしょぼかったら申し訳ないので、観劇やコンサート鑑賞の合間に演奏を磨かなければ。