2011年3月30日水曜日

Jonathan Franzen, "Freedom"

昨年刊行されたJonathan Franzenの小説、Freedomをやっと読み終えました。震災発生前にキンドルで購入して、なかなか面白く途中まで読んでいたのですが、震災が起こってからは、寝る前に手に取って読み始めても、鬱な気持ちが一段と滅入るし、まるで感情移入することができず、しばらく放ってありました。でも、くだらないとか面白くないとかいうわけではないので、ともかく最後まで読もうと、数日前から頑張ってやっと読了(けっこう長い)。

Jonathan Franzenは、2001年のThe Correctionsがたいへん評判になり、National Book Awardを受賞したりピュリツアー賞の最終候補となったりしました。また、オプラ・ウィンフリーの読書クラブに作品が選ばれながらもそのことについて複雑な心境を表し、ウィンフリーが番組出演の招待を取り消したことから大騒動になり、そのことがさらに知名度を高める結果となりました。今では『タイム』誌の表紙に顔写真が載る(作家が同誌の表紙を飾ったのはスティーヴン・キング以来)ほど商業的アピールも博し、今では国民的小説家としての位置づけをされています。私は今まで彼の作品を読んだことがなかったのですが、まあ現代アメリカでもっとも偉大な小説家のひとりとされている人の作品がどんなものだか、一度くらい読んでおいても損はなかろうというくらいの気持ちで新作Freedomを読みました。

私の個人的な総合評価は、10点満点で8点くらいといったところ。読み応えはじゅうぶんあり、考えさせられたり刺激されたりするポイントはたくさん。ミネソタの中産階級の男女の家庭ドラマを中心に、小説だからこそ描ける文化や時代の固有性を、冷徹にまた面白可笑しく捉えながら、政治や道徳やイデオロギーや愛といった大きく普遍的な問題に正面から体当たりしていく作品。その壮大さにおいては、Joyce Carol OatesやPhilip Rothに通じるところもあります。タイトルの「自由」は、親や家族からの自由であったり、表現の自由であったり、正義を追求する自由であったり、自らの幸せを追求する自由であったり、自己の利益や権利を守るために他人を排除する自由であったりする。そして、そのどれひとつをとっても、必ずその自由の犠牲となるものがあり、それぞれの登場人物は、ときにクールに、ときに不器用に、そうした葛藤と格闘していく。読者のなかには、著者がすべての登場人物に対して冷たく侮蔑的な視線を投げかけているという批判をする人もいるようです(他の作品においても、Franzenは上から目線のエリート主義者だとか、結局はアッパーミドルクラスの結構な悩みをごちゃごちゃと述べ立てているだけとかいう批判もあります)が、私はそうは感じませんでした。とくに主人公のひとりであるPattyの思春期から50代までの変遷や葛藤や成長には、著者の愛情が感じられます。作品中二カ所、彼女がセラピー目的で書いた自伝という設定の文章があるのですが、自伝であるにもかかわらず三人称で書かれたこの文章のぎこちなさと、執拗に繰り返されるagreeableという単語、自分や周囲の人間の描きかたなどから、欠陥ある自分との距離のとりかた、そしてその自分への落とし前のつけかたを探っているさまが痛々しいまでにわかります。もっとも、描かれている人や物事の固有性がリアルだからこそ普遍性が強調される作品であるがゆえに、その固有性(たとえば、ミネソタという場所の文化とか、アメリカの大学の文化、とくに日本でいうところの「体育会系」文化とか、現代アメリカの左派の文化とか)を感覚として理解できない読者にはいまいち意味がわからないことも多いかもしれませんが、多くの小説というのはそういうものでしょう。文章にかんしては、思わず暗記したくなるような珠のような表現がたくさんあります。

2011年3月29日火曜日

危機状況におけるアートの役割、そして花見

相変わらず頭脳を長時間使う作業には集中できないのですが、五月のアマチュア・クライバーン・コンクールに向けていよいよ猛練習をしなくてはいけないので、ここ数日は、一日数時間ピアノに向かっています。私が演奏の準備をしているのは、予選から本選まで入れると、全十曲。もちろん、予選であっけなく落ちる可能性も大なのですが、それでも一応本選までの曲もすべて練習しておかなくてはいけない。しかし、十曲を演奏レベルにもっていくというのは、かなり大変なことです。すでに一通りは弾ける曲しか演目に入れていないとはいえ、一曲につき一日30分練習するだけでも、全曲やるには一日五時間もかかる。当然ながら、毎日五時間も練習できるわけではないし、それよりなにより、一日30分の練習ではまるで不十分な曲もある。私は現在サバティカルなので、一日数時間練習できる日も結構ありますが、他の出場者たちは、フルタイムでバリバリと仕事をして家庭もある人たちがほとんどなのに、彼らはいったいどうやって練習したらそんなレベルの演奏ができるようになっているんだろうと、不思議でたまりません。コンクールで他の人たちに是非とも訊いてみなくっちゃ。

先日は、友達に誘われて、六本木ヒルズで開催されたART for LIFEという被災者支援イベントに行ってきました。計画されていた「六本木アートナイト2011」というイベントが震災の影響でキャンセルになったため、予定されていたシンポジウム内容の一部を変更して、参加アーティストの作品を販売し義援金とするチャリティイベントとして開催されたもの。森美術館館長の南條史生氏、文化庁長官の近藤誠一氏(私は地震以前に文化庁の催しにいろいろ顔を出していたので長官の姿はよく目にしてきましたが、こういう場にもちゃんと登場していらっしゃるのでなかなか感心しました)、文部科学副大臣の鈴木寛氏、現代美術家の椿昇氏、日比野克彦氏など、多様な顔ぶれの方たちが壇上にのぼり、震災という危機状況におけるアートやアーティストの役割、災害とアート、ウェブやツイッターなどのテクノロジーについての意見や観察を語っていました。突然の大震災があってほんの二週間で開催されたイベントでもあり、「今の状況におけるアートやアーティストの役割」については皆が現在進行形で悩み模索しているところでもあるので、練られ絞られた論点について考え抜かれたことが議論されるというよりは、聴衆とともに悩み模索する、という感じではありましたが(ただし、会場が混雑していて何時間も立ちっぱなしだったので、あまりにも疲れて、私たちは途中で退出してしまったので、後半のディスカッションは聞いていません、あしからず)、そういう場を設けるということだけでもじゅうぶんに意義はあったと思います。

ただ、こうした状況でのアートの役割、というときに、ともすると、「人々の心を癒す」という点に話が収束されがちなのがちょっと気になります。もちろん、人々の心を癒したり、あるいは人々に元気や希望を与える音楽や絵画や演劇はたくさんあるし、極限状態にある人がそうしたものに文字通り命を救われることもあるのは否定しません。被災地の人たちがラジオから流れる音楽にとても慰められ勇気づけられている、という話もあちこちで目にします。それはもちろん素晴らしいことで、アートにはそうした役割を果たし続けてほしいと思いますが、それと同時に、芸術というのは、必ずしも人々を慰めたり癒したりすることが第一の目的ではないはずだし、万人の目や耳にやさしい、美しい作品が必ずしも一流の芸術ではないはず。芸術というのは、それぞれのアーティストが捉えた世界を、それぞれの形で突きつめ、表現し、その過程で、聴衆に対して疑問や宣言や語りを投げかけるものだろうと思います。それが、鎮魂や慰めである場合もあるし、怒りや挑戦である場合もあり、聴衆は慰められるどころか、困惑したり興奮したりすることもある。そうした表象活動は、今困っている人をすぐに助けられるものではないけれども、アーティストだからこそできることというのは、まさにそこにあるはず。なので、苦しくても辛くても、また自分がなんの役にも立たないような気持ちになっても、芸術家の人たちには芸術活動そのものに今こそ向き合ってほしいと思います。(と、エラそうに言いながら、自分はやりかけた執筆活動が精神的に辛すぎて中断したまま。)

ところで、被災者に配慮してお花見は自粛すべき、という指示(?)が一部からあるようですが、私はこの意見には賛成しません。桜を観ながら飲み騒ぐのは不謹慎、ということなのでしょうが、人が花を愛でる、とくに仲間と一緒に花のもとで時を過ごすという行為には、浮かれ騒ぐという以外にもたくさんの意味があるはず。とくに、日本で桜には歴史的にいろいろな意味が込められてきた(ちなみに、直接震災とは関係ないですが、軍国主義における桜のシンボリズムを分析した大貫恵美子『ねじ曲げられた桜―美意識と軍国主義』はたいへん興味深いです)のであって、戦後最大の危機に直面する日本の人々が、桜を観ながら語り合う(あるいは沈黙し合う)のは、とても深い意味のあることなんじゃないかと思いますし、それは、変なナショナリズムに流れる必要もない(もちろん、この震災のなかから、間違った形のナショナリズムが生まれてくるという可能性はあるでしょうが)。節電のため照明はなくすというのは理解できますが、人々が桜の下に集まることまでやめろというのは納得がいかない。人々が花見をしないことで被災地の人になにかプラスになることがあるわけでもなし、むしろ、自然は地震や津波ももたらすけれども美しい桜の花も咲かせるということ、長く辛い冬の後には必ず春がやってくるということを感じ、花を愛でることの幸せを人々と共有することは、今の日本の人々には大事なんじゃないかなあ...

2011年3月20日日曜日

アル・カンパニー『冬の旅』

一昨日、『バルカン動物園』を観ておおいに元気をもらったので、こういうときにこそお芝居だ、と思って、にわかにチケットをとって今日は新宿のSPACE雑遊で、松田正隆作、高瀬久男演出による、平田満・井上加奈子の二人芝居、『冬の旅』を観てきました。「こういうときにこそお芝居だ」ともっともらしく言ったものの、なぜこういうときにとくに演劇に力をもらえるのか、自分でもうまく言葉で説明できない。ただ、80人ほどの観客が小さな空間としばしの時間を共有し、そこで生身の人間の役者さんがひとつの世界を生み出してくれる、そのこと自体になんだかかけがえのないものを感じ、なにが始まるのかもわからない作品の出だしで平田満が台詞を言い始めただけで、私はなんだか身震いを覚えてしまいました。この作品、異国の海辺の街に旅をしている夫婦の会話で成立していて、筋の説明を求められると困るのですが、脚本は、抽象的なテーマを扱いながらも地に足がついていて、面白可笑しくもあるし、ペーソスもある。ふたりが、同じ場所で同じものを見てじっくり話を重ねながらも、ふたりの話がかみ合っているようないないような、過去の記憶や現在の理解についても、合致しているともいえないけれど違っているともいえない。それぞれが構築する過去と現在のなかで展開される、夫婦のあいだの微妙な緊張と安心を、平田満と井上加奈子が温かく表現してくれます。新宿と新百合ケ丘であと4回公演がありますので、機会があればぜひどうぞ。

2011年3月18日金曜日

アマチュア・クライバーン・コンクール合格 & 『バルカン動物園』

私がここでオロオロしても何の役にも立たない、少しでも生産的な活動を、と毎日自分に言い聞かせてはいるものの、ニュースを見れば見るほど落ち込んだ気持ちになり、また、この状況、とくに原発についての周囲(とりわけ国外)の人々の認識や反応が実にさまざまで、私のことを心配していろいろなことを言ってくれる人たちに対応するだけでもけっこう疲れてしまい、昨日はどっと眠ってしまいました。(私は落ち込むとやたらと寝る性癖があります。もっと落ち込むと眠れなくなりますが。)原発については、いろいろ思うことあるのですが、それについてはもう少し自分の気持ちや考えを整理してから書きます。放水作業がある程度成果をあげているらしい現在でも原発の状況がけっして安心できるところまでは行っていないのはわかっていますが、私は、原発のことよりも、被災地の状況のほうがずっと恐ろしく感じられます。地震や津波で命を落とされた方々、今も万単位で行方不明の方々のことを考えると胸が痛むのはもちろんですが、なんとか命をとりとめて避難されている人たちの中にも、水や食料や燃料が届かず、避難してから亡くなっている人が次々と出ている。あんなに寒いところで、暖房も食べ物もなければ、元気な人でもどんどん衰弱していくし、お年寄りや持病のある人、免疫のない乳幼児などには命にかかわることになるでしょう。不況とはいえ今でも世界ではもっとも豊かな国である日本で、飢えや寒さでたくさんの人が亡くなってしまうかもしれないというこの現実を前にして、私は青ざめる以外にありません。でも、ニュースを見ていると、阪神大震災や海外の災害や戦争で救援活動の経験を積んだ、たしかなビジョンと指揮力のある、支援活動の専門家が何人も存在するのだということも知り、また、なんらかの形で助けになりたいという被災地以外の人々の誠実な気持ちも明らかなので、そこに希望を託し、自分はとりあえず募金と節電と冷静な行動に努めることにしています。

そういうわけで私は、昨日の夜まではどんよりと落ち込んでいたのですが、今日になってにわかに元気に。その理由のひとつは、朝メールを開けると受信ボックスに、アマチュア・クライバーン・コンクールに合格したという通知が入っていたこと。正式な合格通知(ちなみにオーディションの倍率はほぼ2倍だったらしい。これが前回までのコンクールのときと比べて高いのか低いのかは不明)に加えて、「本物の」クライバーン・コンクールを見学したときに隣の席で仲良くなったジェリーさん(詳細は『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』をご覧ください)から既に「おめでとう」メールが届いていました。ロジンスキ氏の後任としてクライバーン財団長のポストについたDavid Worters氏とジェリーさんは友達で、オーディションの結果が決まってすぐに、ジェリーさんのところにわざわざ電話で「マリが受かった」と教えてくれたそうです。ジェリーさんは私がフォート・ワースに来るのをとても楽しみにしてくれているので、私の演奏がしょぼくても、少なくとも一人はファンがいるかと思うと心強いです。とにもかくにも、地震や原発のこと以外はなにも考えられない日々が続いていたなか、この知らせは素直にとても嬉しく、本番に向けてせっせと練習せねばならなくなったので、自分の精神衛生にとってもよいです。

今朝はその知らせをもってピアノの先生のところにレッスンに行きしごかれた後、こまばアゴラ劇場で、平田オリザ作・演出の『バルカン動物園』を観てきました。私は大学在学中に、こまばアゴラ劇場や当時存在した駒場小劇場でときどき演劇を観ていたのですが、日本のこうした小劇場で観劇したのは実に20年ぶり。そもそも演劇を観るのは好きだし、今は文化政策の研究上平田オリザさんの仕事には興味があるしで、私にとっては懐かしのアゴラ劇場に足を運んだのですが、これはとても素晴らしかった。1997年に初演された、脳科学をテーマとする作品なのですが、原発事故をめぐる作業や議論が進行中のさなかに、科学と倫理、遺伝と進化、生命と死などを扱うこの作品を観るのは、なんともいえない迫力がありました。いろいろなことを考えさせられるし、台本にも、若手の役者さんたちの演技にも、たいへんリアリティがあって(理系の研究室の雰囲気、いや、理系だけじゃなくて大学の研究室全般の、形容しがたくねちっこい雰囲気も含め)、満足度百パーセント。だいたい、ほぼ満員で50名弱の観客のために、20余人のすばらしい役者さんたちが肉迫した演技をしてくれる、それを2000円で観られるなんて、こんな贅沢なことが世の中にあるだろうか。多くの人々がまさに生死のあいだをさまよっているような状況のなかで、文化政策の研究なんてやっているのは、一部の恵まれたエリートにしか意味をもたないことについて理屈をこねているだけじゃないかという気持ちになることも多いのですが、こうしたときに、こうした舞台芸術に触れることで、文化や芸術というものの本質を改めて感じ取った気がします。作品の内容とはまた別に、人間が知や文化や芸術を創造するその現場にいられただけで、なんだかとても大きなパワーをもらいました。キャストは二組あって、私が今日観たのはBキャストだけれど、Aキャストでもう一度観たいくらいです。28日までやっていて、前売りはほぼ完売しているようですが、若干当日券も出るようだし、28日には追加公演もあるようですので、興味のあるかたは是非どうぞ。

2011年3月15日火曜日

地震から5日後に思うこと

地震から5日。日ごとに被害の凄絶さが明らかになり、原発の不安も増すなか、地震発生当初は理解できなかった事態の深刻さに、どんどんと暗い気持ちになります。私がここでオロオロしていてもなんの役にも立たないし、テレビを見る時間と自分の理解度が比例するわけでもないので、なんとか気持ちを切り替えて少しずつ日常生活を再開するようにと努力はしている(また、そうするようにとエラそうに学生にアドバイスしている)ものの、頭を使う作業にはやはり長時間は集中できず、あまりなにも手につかない日々が続いています。具体的な音や指の動きに集中しているとその間は他のことを考えずにいられる、ピアノの練習だけは再開しました。

私は、自分も親や親戚も友達もみな無事で、直接の知人は被災地にはいません。また、私は現在、自分の研究だけをやっていればよいというとても贅沢な身なので、毎日どこかに通勤する必要がありません。(逆に、今どうしてもやって人に届けなければいけない仕事というのが少ないので、そのぶんついついテレビや新聞やインターネットに釘づけになってしまう、という側面も。)また、千代田区に滞在しているため、計画停電からも免除され、電車が止まっても都内のいろいろな場所に徒歩でも行ける、という非常に恵まれた状況にいます。さらには、原発の影響やさらなる地震の可能性がいよいよ深刻になってきたら、家と仕事と友達が待っているハワイに戻ることができます。というわけで、今日本でこの事態を経験している人たちのなかで、私はもっとも恵まれた状況にいる人間のひとりのはずです。それでも、スーパーの棚が空になっているのを見たり、余震があったりするたびに(これを書いている途中にもけっこう大きな揺れが2回ありました)、不安な気持ちになりますし、原発にかんしては、与えられる情報を自分で分析・解釈したり、さまざまな報道を相対評価する能力が自分にないので、ますます不安が募ります。

というわけで、早くハワイに戻っておいで、という友人が多いのですが、私が少なくともしばらくは落ち着いてここで様子をみようという気になるのは、私は日本でしかできない研究をするためにここに来ているのだから、その研究がまるでできないという状況にならない限りは、自分のすべきことを続けようという理由が第一ですが、こういう状況の中での日本の人々のスゴさを見たり感じたりするから、というのもあります。地獄絵を見るような被災地では、自分の家族の安否もわからないなかで、寝ずにひとりで何十人もの患者の面倒をみているお医者さんがいる。電話も通じず暖房もなく食料もほとんどない避難所で暮らしながら、「避難所のかたがたに面倒みていただいてありがたい」と頭を下げる人たちがいる。自分も親やきょうだいと連絡がとれないのに、同じ避難所の人たちを励まそうと、「頑張ろう」というポスターを作る中学生たちがいる。そのポスターを見て、「若い子たちが、自分も被災しているのに、私たちを励まそうとして頑張ってくれて、ありがたい」と涙するお年寄りがいる。ひとつのおにぎりを何人もで分けて食べているようななかで、取材をする記者に食べ物を分けてくれようとする被災者の人たちがいる。海外では、こういう状況で発揮される日本人の「我慢の精神」がしばしば話題にされますが、私は我慢の精神よりも(たしかに日本人はよく我慢をするとは思いますが、我慢はいずれ限界がくるはず)、こういう極限状況において、人に感謝の気持ちをもてること、自らが助けを必要としている人が、他の人を助けようとすること、そのことのほうが、ずっとすごいと思います。そうしたありかたは、必ずしも日本人特有のものだとは思いませんが、それでも、人々のそういう姿の映像を見るにつけ、日本の人たちの底力を感じます。

また、節電だといえば、予定されていた停電をしなくてもよくなったりするほどせっせと節電する日本人のマジメな協力性も素晴らしい。私は2003年のアメリカ東海岸一帯の大停電のときにニューヨークにいました(私の住んでいる地域では24時間近く停電が続きました)し、ハワイでもちょっと強風や雷があったりすると結構しょっちゅう停電があるので、これだけの大地震の後で、これだけの人口密度の首都圏で大停電にならないのは、それだけでも相当すごいことなのだと思います。電車の間引き運転でホームの入場が制限されても、人々はひたすらしーんと静かに並んで順番を待っている。普段だったら、この「ひたすらしーんと静かに」が、アメリカ感覚の私にはずいぶんと不気味に感じられたりするのですが、こういうときには、人々が黙って指示に従う能力(指示を出している人への基本的な信頼感があるからでしょう)が生み出す社会の秩序には、心から脱帽します。

ひとりでも多くの生存者が見つかり、被災者の人たちに少しでも早く支援物資が届き、被災地で一日も早く生活が再建できることをお祈りします。また、日本全体で経済的・社会的困難が長引くと思われるなかで、人々が心をひとつにして、私が常日頃感心するところの「てきぱき力」を発揮して、冷静にそして着々と動き、日本が元気に立ち上がり飛び立つことができると信じています。ガンバロウ!

2011年3月12日土曜日

海外の日本人大学院生へのメッセージ

ワイ大学の同僚から、「日本人の大学院生が、地震のニュースでとても動揺している、なにか彼らのためにできることはないか」と連絡があり、とりあえず日本にいる私ができることをと思い、自分が指導している大学院生たちに以下のメールを送り、フェースブックにも投稿したところ、学生や他の日本人の知人たちから、たくさんの感謝と共感のメッセージが届いています。このブログは、日本以外の場所で読んでいるかたが多いよなので、とくにそした人たちは伝えられることもあるかと思い、ここにも添付いたします。一部、前回のブログ投稿と内容が重複するところもありますが、ご了承ください。

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日本からのUH大学院生のみなさんへ

大地震・津波発生からまる二日がたとうとしています。当然ながら、日本は被害の情報や原発の状況などのニュースで情報が飽和しており、一日中テレビを見ていると青くなって呆然とするしかない、かといって一日中テレビを見る以外になにも手につかない、という状態です。阪神大震災のとき、私はブラウン大学で大学院生をしていましたが、当時はまだインターネットもなく、情報源はテレビくらいしかなかったので、状況が把握しにくく、当該地域にいる親戚や友達の消息がわかるまでにもずいぶん時間がかかりました。今は、インターネットなどでたくさんの画像や映像がどんどん入って来るし、ハワイでは日本語テレビもあるので、情報が足りないということはないかもしれませんが、故郷から遠く離れている皆さんは、さぞかし心配と不安でいっぱいだろうと思います。依然として電話がつながりにくいので、とくに被災地に家族や友達がいて連絡がとれない人は、いてもたってもいられない気持ちだろうと思います。

ご存知のとおり、私は現在サバティカルを東京で過ごしています。都心でも、私がかつて経験したことのない大きな揺れがあったとはいえ、東京は比較的被害が少なく、私自身も、親や親戚や友達も、全員無事でしたが、しだいに情報が増えてくるにつれ、胃の中に重いものが入ったような気持ちになります。自分は元気で安全なところにいる、そして助けを必要としている人たちが何千・何万人もいる、と思うと、なにかをしなければ、という切迫感におそわれますが、ここで私が慌てたところで、なんの役にも立ちません。私にできる数少ないことは、文章を書くことだ、そして、私にわかるのは、海外にいる大学院生の気持ちだ、と思い、不安でいっぱいのはずの皆さんにメールを書くことにしました。

時間がたつにつれ、各地から入ってくる地震・津波発生時の映像が増え、一瞬にして街が波に呑み込まれてしまう様子を見るたびに、作りものの映画でなく本当にこんなことが起こるんだと、信じられない気持ちになります。また、最初はテレビに出る映像は、崩れた建物や壊滅した集落の様子が多かったのが、だんだん、手すりにつかまりながらゆっくり高台への階段を昇るおばあさんや、避難所で子どもを探すお母さんや、跡形もなくなった家の跡地に呆然と立ち尽くす男性といった、人々の姿の映像が増え、これらの人々の今の心中、そしてこれから先の生活や人生の再建を考えると、涙が出ます。そうした映像が流れている最中にも、新たな地震や津波のニュースや警報が次々と出て、東京でも大小の余震が続いているので、心休まることがありません。

それと同時に、こうした事態に直面しての、日本の人々の様子には、おおいに感心もしています。東京では、電車がとまっても大きなパニックもなく、歩行者が車道まで溢れ出しても大きな事故も混乱もない。電車の運転が再開してからは、人々は誰に言われなくても普段通り整列してホームに並び電車を待つ。何時間も歩いて帰る人たちのためには、道路沿いで無料のお茶やみそ汁が配られたり、飲料会社が自動販売機を無料開放したりする。駅や道路に停められている自転車が盗まれたりすることも特にない。帰宅できなくなった人たちのために、自治体や各種施設が寝場所や毛布や食料を提供する。自宅の門や塀に「トイレ使ってください」と貼り紙をする家庭もある。電話やネットで安否確認サービスが開設される。そうしたことが、静かに、迅速に、着々となされていきました。私は、とくにここ数年は、日本に帰るたびに、人々が、電車でもエレベーターでもとにかく他人と目を合わさないし、ちょっとしたことで人に手を差し伸べることをせず、人間関係がとても冷たくなったと感じて心寒い思いをするのですが、こういう事態においては、日本の人々もやはり助け合いの精神を発揮するのだということがわかり、胸が熱くなる思いもしています。また、メディアもがんばっていると思います。私は、日頃日本のマスメディアにはおおむねきわめて批判的なのですが、こうした状況のなか、正確な情報を迅速に冷静に提供しようと精一杯の努力をしている印象があります。私はNHKしか見ていませんが、民放も、地震発生以来ずっとCMなしで報道を続けているようです。

とくに最近の見るも無惨な政治状況のなか、私は政治的リーダーシップにはまるで信頼をおけないけれども、日本の一般の人々の静かな「てきぱき力」には普段からおおいに信頼をおいているので、こういう局面においてそれが立派に発揮されているらしいのには、感心もするし感動もします。これから広域にわたる救援や長期戦になるであろう生活の再生に向かうにあたって、そうした人々の能力と善意を効果的に組織していく力を、政治家たちが発揮してくれることを願ってやみません。

原発のニュースなどを見て、心配して「もうハワイに帰ってきたら」と言ってくれる友達もいるのですが、遠くにいてニュースを見ているほうが、ずっと辛いだろうと思うので、日本にいたことは幸運だったとすら思っています。また、こういう時にたまたま日本にいたことで、自分と日本の関係をあらためてじっくり考えるきっかけにもなっています。日本とアメリカというふたつの視点や経験をもっている自分が、こうした状況のなかでできることはなにか。研究者・教育者・批評家がこうした事態において果たすべき役割はなにか。そうしたことを、これからの時間で、冷静に、慎重に考え、行動力と協力性をもって、日本そして世界の人々と一緒に活動していこう。そう思っています。

皆さんも、なにかをしたい、という気持ちでいっぱいのことだろうと思います。勉強なんかとても手につかない、というのも現実だろうと思います。悲しみで涙が止まらない、という人もいるだろうと思います。そうした気持ちになって当然です。テレビやインターネットを見るときは、留学生仲間や他の友達と一緒に、情報や気持ちを共有するといいと思います。また、家族や友人と連絡がつかないからといって、勝手に結論を急がないようにしてください。電話がこみあっていますから、本当に身近な人の消息確認以外には、今は電話の使用を控えるほうがよいでしょう。(インターネットを使った安否確認サービスもいくつか設置されています。)不安や焦燥感でいっぱいなのは当然のことですが、ひたすら気をもんでいても生産的でないので、一日に数時間はテレビやコンピューター画面を離れ、無理矢理にでも他のことを考えたりしたりするのがいいと思います。こういうときこそ、心配事を頭からブロックアウトして、難しい本を読むのに集中するのもいいでしょう。さまざまな形で故郷や生活の糧を略奪されてきた人々の歴史を勉強するのもいいでしょう。あるいは、まったく関係のないトピックに没頭するのもいいでしょう。とにかく、皆さんが今できる一番大事なことは、それぞれの分野で立派な専門家として活躍し日本の社会に貢献できるよう、しっかりとしたトレーニングを積むことです。こうしたときに、世界で活躍する日本人のスポーツ選手や芸術家たちが、日本の人々に大きな勇気を与えるのと同じように、皆さんが一生懸命勉強して夢をかなえるのが、苦難に直面している日本の人たちへの希望となるはずです。

私のフェースブック上の「友達」が、地震発生の翌日、「がんばろう、ニッポン、今こそ、心をひとつにして。」というアップデートを投稿していたのを見て、私は涙が出ました。そうです、今からが本当のがんばりどきです。

私は、今日これから、地震発生以来初めて、外に出て街の様子を見てきます。また状況を報告しますね。皆さんも励まし合って頑張ってください。日本の家族とどうしても連絡がとれないなど、困ったことがあったら、いつでもメールしてください。「心配で勉強が手につきません」といった類のメールでも遠慮なくどうぞ。

吉原真里

2011年3月11日金曜日

大地震より一夜明けて

たいへんな一夜が明けました。おかげさまで私は無事です。現在の時点で連絡のついている親族や友人たちもみな無事のようですが、仙台出身の友達はまだ家族の消息がつかめておらず、心配です。

私は最初の大きな揺れがきたとき、皇居周りのジョギングを始めるところで、千鳥ヶ淵の交差点で信号待ちをしているところでした。止まっている大きなトラックがやけに大きく左右に揺れているなと思っているうちに、自分も揺れていることに気づいたときには、じっと立っているのも困難なくらいの大きな揺れとなり、同じ信号のところに立っていた、関西から観光にきていたらしい女性ふたりと声をかけあって、揺れがおさまるのを待ちました。数分たって落ち着いたようなので、「かなり大きめの地震」という以上の認識がまるでなかった私は、「まあ、なにかあったら皇居なら救助隊がいち早く駆けつけるだろう」と思って呑気にジョギングを開始し内堀通を南下していきました。桜田門は少し曲がったようで係の人が点検に来ていたり、停車していたトラックの荷台から土砂がこぼれて交通が混乱していたり、日比谷公園側では、周囲のビルからたくさんの人がヘルメット姿で道路に避難してきたりしていましたが、その人混みをぬって私は相変わらず呑気にジョギング。でも、竹橋の公園のあたりで再び大きな揺れがきて、周りの人たちもけっこう慌てているので、さすがに「これは軽快に走っている場合ではない」と思って停止。数人に電話を試みましたがまるで通じず、仕方ないので様子をみながら歩くとも走るともつかないペースで家のほうに戻り、そろそろ大丈夫かなと思う頃に7階の部屋にのぼってみました。私が住んでいるのは比較的新しくしっかりしたマンションなので、さすがにさまざまな地震対策ができていて、大きなダメージはなかったものの、本棚から本が落ちまくり、机やタンスの引き出しは飛び出て、ピアノも30センチほど動いていて、地震の瞬間に家にいたらさぞかし恐ろしかっただろうと思いました。その後も余震が続いてかなり怖かったので、マンションの7階にいるより皇居付近の広場にでもいたほうが安全かと思い、着替えて外に出ようと階段を下りている途中で、私が今同居している友達のお母様(同居しているのはお母様のほうで、友達は現在イギリスに滞在中)と会い、イギリスと連絡をとる必要もあり、ともかく一緒に部屋に戻りました。ひとりだと不安でもふたりならなにかと心強く、そのままテレビを見ながら夜を過ごしましたが、ニュースを見れば見るほど、呑気にジョギングをしていた自分がいかにバカかとわかりました。

都内は比較的被害が少なかったものの、テレビで東北地方の状況を見れば見るほど、呆然としてしまいます。こんなに広域でこんなに大きな被害が出るとは。被災者のかたがた、またその身内のかたがたが、どんなにか恐怖と不安と心配でいっぱいかと思うと胸が痛みます。

それと同時に、こうした事態に直面しての、日本の人々の対応には、おおいに感心もします。家に戻ってからはテレビやインターネットでしか外の様子を見ていないので、あくまでそれらを通じての印象ですが、電車がとまっても大きなパニックもなく、運転が再開してからは人々は誰に言われなくても普段通り整列してホームに並び電車を待つ。歩いて帰る人たちのためには、道路沿いで無料のみそ汁が配られたり、飲料会社が自動販売機を無料開放したりする。駅や道路に停められている自転車が盗まれたりすることも特にない。帰宅できなくなった人たちのために、自治体や各種施設が寝場所や毛布を提供する。電話やネットで安否確認サービスが開設される。そうしたことが、静かに、迅速に、着々となされていった印象があります。(実際にそういう場にいたわけではないので、現場での状況は違ったのかもしれません。経験談のあるかたは教えてください。)とくに最近の見るも無惨な政治状況のなか、私は政治的リーダーシップにはまるで信頼をおけないけれども、日本の一般の人々の「てきぱき力」には普段からおおいに信頼をおいているので、こういう局面においてそれが立派に発揮されているらしいのには、感心もするし感動もします。これから広域にわたる救援や生活の再生に向かうにあたって、そうした人々の能力と善意を効果的に組織していく力を、政治家たちが発揮してくれることを願ってやみません。

日本の人々のてきぱき力に加えて、今回再認識したのが、フェースブックを初めとするインターネットメディアの力。地震・津波のニュースは即座に全世界に伝えられたようなので、ハワイやアメリカ本土で私のことを心配してくれる人たちも多いだろうと思い、とにかくフェースブックで何度も自分の無事と周りの状況を報告していました。これは、電話や携帯メールの通じない日本の友達との連絡手段にもなり、海外の友達にも一気に大勢に様子を知らせることができるので大変便利。ニュースを見て大慌てで心配のメールを送ってくる友達にも、投稿はおおいに感謝されました。(ちなみに、ハワイにも津波が到達しましたが、これといった被害は出なかったようで安心。)今も、フェースブック上でいろいろな情報やメッセージが共有・交換されています。

ちなみに私は、昨晩はダニエル・ハーディングの指揮する新日本フィルのマーラー5番をすみだトリフォニーに聴きに行くことになっていたのですが、電車も止まっていたし当然行かずじまい。驚いたことに、コンサートは予定通り行われ、50人程の聴衆のために演奏がなされたそうです。この決定を無謀だとする人たちもいるようですが、楽団員がすでに会場にいて(新日本フィルは、日本のオーケストラでは珍しく、フランチャイズ制をとり演奏会場でリハーサルを行う、墨田区の地元コミュニティに根ざしたオーケストラなので、地震発生時にはすでにリハーサルのために楽団員が集まっていたのではないかと推測しています)皆家族などの無事を確認でき、会場の安全を確認した上でのことなら、これはこれでひとつの英断だったのではないかと私は思います。人生についていろいろ考えずにはいられないような怖い思いをしたばかりの聴衆のために、準備してきた最高レベルの演奏を予定通り提供する、それが音楽家としてのひとつの立派な姿ではないかと思いますし、頑張って会場に足を運んだ聴衆は、その演奏にいっそうの感動をおぼえたのではないかと想像します。(「タイタニック」の映画で、恐怖に叫びながら救命ボートを目指す乗客のために、音楽家たち自分の命を犠牲にして最後まで演奏をするシーンがありますが、私はあそこでいつも泣いてしまう。音楽家のなかには確かにああいう決断をする人もいるだろうと思います。)

今もまだ余震が続いていて、小さな揺れでも7階では結構大きく感じられます。津波の影響はまだ続くようですから、皆さまもどうぞお大事に。

2011年3月8日火曜日

「全米一幸せな人物」がハワイに

数日前のニューヨーク・タイムズに掲載されたのが、ギャラップ社による「幸せ度」調査の結果。精神状態、仕事における満足度、食生活、健康状態、ストレス度などの、「クオリティ・オヴ・ライフ」を形成するさまざまな指標について、ランダムに選ばれた1000人のアメリカ人に質問した結果を、地域や年齢などの軸で分析したもの。このデータをもとに、「幸せ度」がもっとも高いはずの人物像を合成すると、こういうプロフィールに。65歳以上、背が高い、アジア系アメリカ人、ユダヤ教を信仰し、既婚で子どもがいる、ハワイに在住、自営業を営み、世帯収入は年間12万ドル以上。

そこまでなら、あくまで統計にもとづいた仮想のプロフィールなのですが、ニューヨーク・タイムズが実際にこのプロフィールに当てはまる人物を探したところ、実在の男性を発見。ハワイ大学のあるマノアというエリアに住む、69歳の中国系アメリカ人、Alvin Wong氏。医療関係の会社を営み、現在は、がん患者とその家族を支援するNPOを立ち上げているところ。ユダヤ教に改宗してホノルルにあるシナゴーグに通い、35年間の幸せな結婚生活を送り、成人したふたりの子どもがいる、とのこと。

ハワイに住むアジア系アメリカ人でユダヤ教を信仰している男性というのは数がきわめて限定されるので、プロフィールにぴったり合う人物がひとり特定できたわけですが、これはまあ、データに一致する人がたまたま存在したというだけであって、Wong氏が実際にアメリカ一幸せだということにはもちろんならないのですが、全米一幸せであるはずの人物をひとりに特定できたということ自体は、なんだか面白可笑しい。また、私は、アメリカにおけるアジア人とユダヤ人の歴史的・文化的関係に興味があって、いずれ研究プロジェクトにするつもり(本当はMusicians from a Different Shoreの後にそれをやるつもりだったのですが、ことの成り行きで、文化政策の日米比較のプロジェクトを先にやることになりました)なので、ハワイでユダヤ教に改宗したアジア系アメリカ人がこうして全国的に注目を集めているということ自体に、興味津々です。

2011年3月3日木曜日

METライブビューイング「ニクソン・イン・チャイナ」

以前に、メトロポリタン・オペラの公演を世界各地の映画館で観られるライブビューイングがとても楽しい、と書きましたが、今日はじめて、それを日本で観てきました。演目もさることながら、同じものを観るのでも、ハワイと東京では聴衆の反応や場の雰囲気が違うはず、日本で観るとどんな感じなんだろうと、文化人類学的な興味もあって、潮博恵さんを誘って、新宿ピカデリーに出かけました。今回の演目は、ジョン・アダムズの「ニクソン・イン・チャイナ」。アダムズについては、『現代アメリカのキーワード 』にエントリーがありますので参照していただけるとよいですが、題名通り1972年のニクソン大統領の中国訪問をテーマにしたこの作品は、演出家のピーター・セラーズの提案でアダムズが書いた最初のオペラです。1987年にヒューストンで初演された後、トロントやシカゴ、ヴァンクーヴァー、トロントなどで上演されましたが、今回はメトロポリタン・オペラでの初演で、アダムズ自らが指揮もしています。

私は、アダムズのオペラは、「クリングホッファーの死」の映画版(舞台で公演されたものを録画したものでなく、はじめから映画として作られたもの)を観たことがあるのと、「ドクター・アトミック」をテレビで放送しているところを数分間ちらりと観たことがあるだけなのですが、正直言って、好きかと言われると、「ウーム...」と唸ってしまう。原爆やテロリズムといった社会的テーマを現代音楽を使って舞台芸術にしているわけですから、モーツアルトやヴェルディやプッチーニのオペラを観るのとはまるで違った体験なのは当然ですが、どうも、「このセリフにこういうメロディとオーケストレーションをつけて歌うことにはどういう意味があるのかいな」という点で納得のいかない箇所が多く、違和感をおぼえてしまう。また、イタリア語やドイツ語だと初めからわからないので単に音楽として聴くけれど、英語だとなまじ聴き取れてしまう(とくにアダムズのオペラは聴き取りやすい)ので、私にとってはそれがかえって違和感を生むことにも。

などと、勝手なことを言いながらも、「ニクソン・イン・チャイナ」はテーマ的にも観てみたいと思っていた作品で、また、こういう種類の作品は生で観るよりも映画館で観たほうがむしろ楽しめたりするかもしれないという期待がありました。で、どうだったかというと、確かに、おおいに楽しみました。「このセリフにこういうメロディとオーケストレーションをつけて歌うことにはどういう意味があるのかいな」については、今回もそう感じる箇所がいくつもありましたが、アダムズの初オペラであることもあってか、現代においてオペラという形式を使ってこのテーマを舞台化するということの意味を、全身全霊で模索している、という印象を受けました。ミニマリズム的現代音楽風が急にブロードウェイ・ミュージカル風の歌になったり、また、伝統的なオペラの歌づくりの影響が明らかだったりと、部分によって多彩な音楽になっているのですが、好きかどうかはともかくとして、その芸術的な姿勢には大いに共感。歌手の人たちもたいへんよく、とくに毛沢東夫人の江青を演じるKathleen Kimの歌唱力と演技力はすごかったです。ニクソン夫人を演じるJanis Kellyも、いかにも大統領夫人という雰囲気だったし。周恩来役のRussell Braunは、どう見ても周恩来には見えなかったけれど、白人をアジア人に見せようとしてオリエンタリストで変な化粧をさせるよりはいいか。

また、ライブビューイングならではの楽しみが、幕間に見られる、歌手や指揮者、演出家とのインタビュー(幕が下りて歌手が舞台袖に歩いてくるところをすぐつかまえたり、舞台に出る直前までカメラを前にインタビューを受けるところがすごい)や、セット転換の様子。今回は、トーマス・ハンプソンがホストを務めていましたが、キャンピー(って日本語でなんて言うんでしょう?)でハイテンションなピーター・セラーズやバレエの振り付けをしたマーク・モリスもいい味出しているし、メトロポリタン・オペラという大舞台がどういうふうにしてできているのか、その様子が覗き見れるのが私にはワクワク。

「ニクソン・イン・チャイナ」のライブビューイングは明日で終わってしまいますが、今シーズンまだいくつもライブビューイングが残っていますので、是非どうぞ。私もまた行こうっと。

2011年3月2日水曜日

NYタイムズスクエアで呉圭錫 "Counting Sheep" 展示中



ニューヨーク在住または訪問中のかたに、是非ともお知らせしたいニュースです。私の友人の呉圭錫(Oh Kyuseok、「おう きゅうそく」と発音します)さんという彫刻家のCounting Sheepという作品が、今月7日まで、タイムズスクエアの一角で展示されています。タイムズスクエアは、東京でいえば、新宿アルタ前交差点とか、渋谷ハチ公交差点とか、銀座四丁目交差点とかにたとえられる(場所の雰囲気から言えばアルタ前が一番近いかな)、世界中から集まる実に雑多な人々が行き交う、とてつもなく人通りの多いエリア。ブロードウェイを中心に、劇場やら飲食店やらホテルやらがぎゅうぎゅうにつまって、夜を通してネオンぎらぎら、まさに「眠らぬ街」ニューヨークを象徴する場所です。私が大学生の頃まではストリップ劇場や風俗店が多く、道にもゴミやらなにやらが散らかっていて、いかにもいかがわしげな雰囲気でしたが、その後風紀粛正キャンペーンが功を奏し(?)、今では良くも悪くもずいぶんと清潔で安全な一角に様変わりしているのですが、それでも、ニューヨークの外から初めてやってくる人にとっては、タイムズスクエアの独特の空気が圧倒的なパワーをもつのは今も同じ。そんな大舞台で、作品が展示されるのは、芸術家にとってたいへんビッグなことであります。

呉さんは、私の知人友人のなかでもとくに面白い人物です。呉さんは、留学生として日本にきたまま東京に定住した父親と生活するため、幼少のときに朝鮮半島から母親とともに密航して日本に到着し、朝鮮人学校や和光大学で教育を受け、成人してから、日本ではなく韓国の国籍を取得したという背景をもつ、在日コリアン。日本でずっと彫刻家として活動していたのですが(ちなみに呉さんはなかなかイイ男で、若い頃は映画に出ていたこともあるそうです)が、思うところあって60歳を目前にしていきなりニューヨークに移住を決意。ハーレムの家庭に「ホームステイ」に似たような形で住み、英語もまるでできないのに、ハーレムの幼稚園で子どもたちにアートを教えたりしながら、自らの新しい方向性を模索。それまでは、粘度や木、石などスタンダードな素材で制作をしていたのですが、ニューヨークに来てからは、より直截的で素朴な素材を使ってみたいと思うようになり、紙と木を使った作品づくりに専念するようになりました。伝統的に日本家屋に使われている紙と木が、自然界と人間の居住空間、「外」と「内」の境界について表現している独特の感性と美学を伝えたい、との思いにかられるようになったそうです。

2008年から2009年にかけて、ハーレムのアート学校で、巨大な女性の身体を木の枠だけで表現したRenka Projectという作品が展示されたのをきっかけで、今回のタイムズスクエアでの展示につながりました。私はこのRenka Projectを現地で見ることができたのですが、その場にいるだけでなんだか元気が出てくる、ダイナミックな作品でした。今回のCounting Sheepも是非展示されているところを見たかったのですが、タイミングが合わずたいへん無念。でも、前回ニューヨーク訪問中に、呉さんのスタジオで制作準備中の羊を見せていただき、羊たちの触感やたたずまいを感じ取ることができました。ここに掲載するイメージ写真は、少し前のものですが(こちらのサイトに載っている写真のほうが、たくさんの羊が集まっている様子が伝わるのですが、許可をいただいていないのでこのブログに直接掲載はいたしません)、ネオンぎらぎらのタイムズスクエアに、なぜか降り立ってしまった真っ白な羊の一家族が、周囲の雰囲気に圧倒され、困惑し、興奮し、また途方に暮れている様子が伝わってきます。

呉さん曰く、この羊のアイデアは、自分が幼少のとき、朝鮮半島の小さな町から東京にやってきて、自宅近くの錦糸町の通りの光や音や匂いのなかに身を置いたときの、興奮と戸惑いの混じった感情からきている。子どもが賑やかな遊園地に入ったときのような、あるいはファンタジーの世界が現実になったような、そんな感覚が、60を過ぎた今でも自分の根本にあるような気がする。そして、人生のほとんどを日本で過ごし、日本語を話しながら育ちながらも、つねにアウトサイダーであり、ニューヨークに来てからも、言葉を話さない外国人としてアウトサイダー性はさらに強まっている、そうした自分だからこそ表現できる、今も毎日ニューヨークに世界中から集まってくる移民や訪問者たちの、興奮や解放感や希望や孤独や戸惑いを、この作品で表現したかった、と。紙という、雨風に弱い素材でできた、色とりどりのネオンと対照的な真っ白の無防備な羊たちが、互いに寄りそいながらタイムズスクエアにたたずむ姿は、愛らしくもあり、なんだかちょっと間抜けでもある。そんな24頭の羊を数えていると、夜も眠らない街タイムズスクエアの、違った姿が見えてくるはず。

私自身が行けないので、ニューヨークにいらっしゃるかた、私の代わりに是非とも見てきてください。

と、ここまで書いていったん投稿したところで、なんとニューヨーク・タイムズで作品が紹介されていると呉さん本人から連絡をいただきました。すごい!