2010年5月19日水曜日

「独身」女性が「未婚」女性になるとき

辛口論評で知られるニューヨーク・タイムズの論説委員Maureen Dowdによる数日前の論説は、引退を表明したスティーブンス氏の後任としてオバマ大統領が最高裁判事に指名したエレナ・ケーガン(Elena Kagan)の表象のされかたについて。

50歳のケーガンは、議会に承認されれば、最年少の最高裁判事となり、また史上4人目の女性最高裁判事となります。ハーバード法科大学院の学部長(deanという単語を日本語では「学部長」と訳すのが一般的なようですが、ちょっと意味合いが違うんですが、まあここではその話はおいておきましょう)のあいだにカリキュラムの大幅な改革を行い、その後オバマ政権の連邦訴務長官を務めているケーガンの、法律家としての経歴や業績については、もちろんいろいろな議論があるのですが、独身である彼女がレズビアンであるという噂が流れ、本人は肯定も否定もしていないものの、その噂を打ち消すためにホワイトハウスの側が、彼女をさも「結婚できなかった女性」であるかのように描いていることに、憤怒を表した文章です。

曰く、結婚していない男性は、年齢にかかわらず「独身」という身分を堂々と名乗ることができる。年齢とともに社会的地位や財産や経験を積むにつれて、そうした独身男性は魅力を増すとも考えられる。それに対して、女性の場合は、40とか50とかいった年齢(それは「子供を産めない」年齢ということでもある)の線を超えると、「独身」ではなくて「未婚」というラベルを貼られるようになる。つまり、自らの選択で独身でいるのではなくて、女性としての魅力がなく、男性に求められないから、結婚したいのに仕方なく未婚のままでいる、と思われるようになる、と。もちろん、「セックス・アンド・ザ・シティ」のサマンサのように、セクシーでカッコいい独身女性の像というのも存在するけれども、それはあくまで例外であって、世間一般では、40や50で結婚していない女性、とくに、ちょっと太めであったり、髪型や服装のお洒落度がいまいちだったりする女性は、「独身」ではなく「未婚」というレッテルを貼られる、と。まるで、頭脳明晰で野心に燃えたケーガンが仕事に没頭し、男を見つけるのに失敗し、孤独を癒すためにますます仕事に没頭し、そして「独身」から「未婚」への境界線を超えてしまった、というかのように、そして彼女の「未婚」という立場がこのさき変わる可能性はありえない、というかのように、彼女はホワイトハウスにもメディアにも描かれている。彼女がワシントンで、オバマ時代の賢い独身男性と出会ったり、ミッシェル・オバマに素敵な男性を紹介されたり、ソトマヨール判事と一緒に独身女性のパーティを開いたり、JDate(『ドット・コム・ラヴァーズ』にもちらりと出てきますが、ユダヤ系の人々のためのオンライン・デーティング・サイト。ケーガンはユダヤ系)に登録したりして、最高裁判事という肩書きとともに新しい出会いを楽しむという話になぜならないのか、と。

そうだそうだ〜!そう考えてみると、私自身、数年前までは日本では私のことをよく知らない人には「まだ結婚しないの?」とか「結婚には興味がないの?」とかいう質問をされることがありましたが、最近はそういう質問もされなくなりました(ということに、この記事を読んで気づきました)。それは、この年齢で結婚していなかったら、もうできないだろう、という前提があるのではないでしょうか。まあ、日本ではそういった感覚が一般的だろうなとも思いますが、アメリカでもやっぱりそうか、と思うとがっくり。