2010年4月8日木曜日

カンボジア旅行




ふと思い立って、数日間カンボジアのシェムリアップにひとりで旅行し、今朝帰ってきました。とにもかくにも想像以上の暑さで、夜でも気温は30度を超し、昼間は40度近くにもなる蒸し暑さ、外で立って
いるだけで身体じゅう汗がぐっしょりになります。アンコールワットを初めとする遺跡観光は、急な階段をたくさん昇ったり降りたりしなければいけないので、たいへんハード。年配の観光客もたくさんいましたが、倒れる人が出ないのが不思議なくらいでした。(しかも、奥行きが10センチくらいしかなく足を横向きにしなければ昇れない階段などを、ものすごい数の観光客が昇り降りするのもすごい。日本だったらあんなところは一般人には通行禁止になるでしょう。)東京の夏も暑いですが、今回はあらためて「暑い」という単語の意味を学んだ気がします。

今回の旅は、私は初めて体験するタイプの旅行でした。大学のときは『地球の歩き方』を手にヨーロッパをあちこち歩き回ったりしましたが、大学院に行ってから後は、優雅に旅行などするお金がまるでなくなったので、どこか外国に出かけるといえば仕事にかこつけてその周辺を少し旅行するくらいですが、私はアメリカ研究を専門にしているため残念ながら学会はたいていアメリカ国内で、今のところ海外で行ったことのある学会はヨーロッパ、オーストラリア、韓国だけです。今回は、日本やアメリカの感覚からすれば物価がかなり安い発展途上国に行き、高級ホテルに泊まり(今回私が泊まったのはシェムリアップのなかでは「最高級」とランクづけされるホテルですが、多少時間をかけてインターネット検索すれば、正規料金だと一泊三、四万円するところに一万円弱で泊まれます)、タクシーやトゥクトゥク(バイクの後ろに屋根付きの力車をつけた乗り物)で移動し、休憩時間にはホテルでゴージャスにマッサージやフェイシャルをする、という、言ってみれば「結構なご身分」の旅行で、それゆえに考えること感じることも多く、複雑な気分にもなりましたが、ふだん世界観が日本とアメリカの二項対立で成立されている私には、ほんの数日間でもこうした第三国をちらりと見るのはとてもいい経験でした。

シェムリアップに行ったのは、言うまでもなくアンコールワットを見てみたかったからですが、確かにアンコールワットとその周辺の遺跡群は壮観です。が、それと同時に、何世紀にもわたる放置と、クメール・ルージュによる破壊、密輸業者による盗難などで、とてつもない混沌をなしてもいます。若い頃にこうした遺跡に触れ、その研究や修復を生涯の仕事にしようと心に誓う若者が出てくるであろうことは容易に想像できるくらい、いろいろな謎やロマンに満ちた場所でもありますが、私のようなせっかちな性格の人間には職業選択としてはまるで向いていないと思うくらい、修復には気が遠くなるような長い道のりがありそうでした。日本を初め、フランス、インド、韓国などとの協同プロジェクトで修復作業が進められている、ということが各地の看板で説明されていましたが、そうしたプロジェクトについてもっと知りたいと思いました。

遺跡などの観光地では、飲み物や土産物を売りつけようと、小さな子供たちがかなりしつこくつきまとってきます。ものを売るのではなく、単純な物乞いをしている、ほとんど衣服を身につけていない小さな子供もたくさんいます。貧しい途上国なのだから、そういう場面に遭遇するのは当たり前でしょうが、そういった経験をほとんどしたことがない私は、正直言ってやはり当惑しました。そして、そういった子供たちが、なんとも流暢でしかも媚びたような(バーに男性を呼び入れるホステスのような)英語を話すのが、さらに哀しさを増大させます。私が泊まっていたホテルのすぐ隣には、子供病院があり、病院がないような地方の村から何百人という人たちが子供を連れてやってきて、建物から溢れている人たちが道路で順番を待っています(泊まりがけで来るのですが、泊まる場所もお金もないので、路上で夜を明かすらしいです)。私の運転手をしてくれた人の話によると、そうやって遠くから来ても、公立の病院ではろくな診療もしてもらえないのだけれども、こうした人たちは民間の医者にみてもらうこともできないので、何時間もバイクの後ろに乗ってやってくるのだそうです。そういう場所のすぐ隣に、プールからゴルフコースからスパからなんでも揃った別世界があり、自分は暑さに耐えられなくなるとそこで冷房にあたりながらカクテルを飲んでいるわけですから、複雑な気持ちですが、かといって、今の私が地域の人々の助けになれるのは、ふだんよりは多めにお土産を買ったりチップを渡したりすることくらいで、これまた観光という歪んだ経済的・社会的力学に自ら参加してしまっているわけです。

プノンペンやカンボジアの他の地域はどうなのかわかりませんが、シェムリアップは観光で成り立っている場所ゆえでしょうが、驚くほど英語が通じます。資格試験をパスした公認の観光ガイドはもちろんですが、タクシーやトゥクトゥクの運転手や、市場の売り子なども、平均的な日本の大学生やサラリーマンよりよっぽどきちんとした英語を話します。生活の必要に迫られ日常の実践に根ざして練習すれば、それほど教育程度の高くない層でもここまで英語ができるようになるのかと思うと、あらためて日本の英語教育の大失敗に目を覆いたくなります。が、英語が通じるということが私のような観光客にとっては便利なのはよいとして、あそこまで外国人観光客向けに町の経済や社会全体が成り立っている(英語が通じるばかりでなく、観光客が行くようなところでは米ドルが基本通貨となっています。私は到着したときに一応二万円ほど現地通貨リエルに換金しましたが、どこに行ってもすべてドルで値段が表示されているので、リエルはほとんどまるで使わないままでした。まったく換金しなくてもよかったくらいです)のは、やはり健全でないように思いました。

といったふうに、途上国の観光力学(私はふだんハワイに住んでいて、観光についても多少研究したことがあるので、そうしたことはよく考えるのですが、途上国での観光は、観光する人とホストする人の関係があまりにもあからさまで、いちだんと心が痛みます)について考えることも多いのですが、それと同時に、ほんの数日間の表面的な観察だけであえて印象を述べるなら、シェムリアップにいる観光客は、私がこれまで行ったことのある場所にいる観光客とは、ちょっと種類が違うように思いました。つまるところ、シェムリアップに来る人は、皆アンコールワットを見にやってくるわけですから、歴史に興味があり、遺跡を見るためにアジアの途上国を旅する不便(上の段落で、英語が通じるし不便はないと書きましたが、それでも平均的な欧米人にはこうしたアジアの町はかなりハードルが高いと思われます)を承知の上ではるばるやってくる人たちなわけで、ある程度の知性と冒険心をもった人が多く、夜のシェムリアップの外国人向けのバーやレストランが密集したエリアでも、観光地の繁華街にありがちな下品な大騒ぎは目にしませんでした。

観光一日めは遺跡めぐり、二日めはシェムリアップの町を散策、三日めはクメール文化を展示した博物館とテーマパークに行ったのですが、このテーマパークが面白かった。どこの国にもこういうテーマパークがあるのだなあと思うくらい、展示自体はあまり深く考えられたものではないし、それほどお金がかかったものでもないのですが、一応カンボジアの人口を構成するさまざまな民族の文化が展示されていて、ダンスを初めとするショーが午後いっぱい行われています。私にとって面白かったのは、遺跡など他の観光地にいる人はほとんどが外国人観光客なのに対して、このテーマパークではほとんどが地元の人々だということです。英語もほとんど通じないのでこちらは多少不安にはなるものの、地元の人々、特に子供たちの様子を観察するにはよかったです。そして、クメールの伝統的婚礼を舞台で演じるショーがあったのですが、その始まりを待っているあいだに、私は百人を超す観客のなかから一人選ばれ(いかにも外国人観光客らしかったからでしょう)、舞台に上がらされ、ショーの一部となりました。一人旅ゆえ、その様子を写真に撮ってくれる人がいなかったのが残念ですが、こうしていかにも外国人観光客という風貌の人を舞台に上げるというのは、国を超えてこうしたショーの定番なんだなと実感しました(ハワイにあるポリネシア文化センターでも、まったく同じ形式のショーがあります)。

カンボジアの人びとは、きわめて愛想がよく暖かい印象を受けました。これが、もともとの民族性によるものか、観光客を歓待する必要によるものか、その両方なのかよくわかりませんが、飛行機の乗り継ぎをしたハノイ空港での印象が打って変わって官僚的で、パスポートをチェックする軍服姿の役人も売店の店員もにこりともしない(共産党の力が生活の隅々にまで行き届いているからでしょうか)のにはびっくりしました。ほんの数日間の旅でしたが、世界には日本とアメリカの他にも実にいろいろな場所があるのだという、当たり前のことをあらためて学ぶ数日間でした。