2009年11月2日月曜日

北京訪問






数日間、北京を訪問してきました。本当は日曜日に戻ってくるはずだったのですが、前の晩に北京では雪が降り始め、空港でチェックインして搭乗してから、飛行機の翼の除雪作業の順番を待つことなんと10時間、その挙句に、これから出発しても成田空港が閉まるまでに間に合わないということで、フライトがキャンセルになってしまいました。空港近くのホテルで一泊を過ごし、翌朝は4時半に起こされ、空港に行ってからはなんと3つの航空会社のチケットカウンターをたらい回しにされ、やっとのことで帰国、成田からは桜美林大学のスタッフのかたたちが主催してくださった私の歓迎会(といっても桜美林に来てから既に3ヶ月ですが)に直行しました。やれやれ。

私は中国本土に行ったのは今回が初めてだったのですが、北京はやはりとてつもなくいろいろな面をもった場所であるということが、数日間の滞在でも感じられました。着いた翌日は、北京外国語大学で講演をしました。私の元教え子が現在北京外国語大学で仕事をしていて、講演の前には彼女が教えている授業を見学に行きました。この日見学した授業は、Gender and Societyという授業で、50人くらいの3年生が選択しているクラスだったのですが、授業は先生の講義、学生の発言や発表を含めすべて英語で行われます。学生の英語はかなり高レベルだったので、「留学経験のある学生が多いのか」と聞いてみたら、「あのクラスには海外生活の経験がある学生はひとりもいない」とのことでした。彼女の授業に限らず、北京外大では、英語圏文化・社会に関する授業はすべて英語で行われるそうです。教授陣は、私の教え子のように長年アメリカで勉強して英語も母語と変わらないレベルで話す人ばかりではないので、教えるほうは大変だろうと思いますが、このように読むのも聞くのも話すのも英語で勉強するおかげで、学生の英語能力は平均的な日本の大学生と比べたら格段に高くなっています。私は、水村美苗さんが『日本語が亡びるとき』で論じているように、「叡智を求める人」が英語だけで言論活動を行うようになったらいろいろな弊害が生まれると思うし、日本の大学でのすべての授業を英語でやるべきだとは思いません。でも、大学教育を受けた人が、普通に英語の新聞や書物を読んだり英語のテレビやラジオから情報を得たりすることができるだけの英語力はつけるべきだとは強く思うし(これについてはまた別途投稿します)、とくに英語圏の社会や文化や歴史を専門にする学生は、北京外大の学生くらいの英語力を身につけてもらいたいと思います。私の講演自体は、
Musicians from a Different Shoreの内容を話したのですが、聴衆はたいへん興味をもって聞いてくれて、とくに大学院生が非常に的を得た興味深い質問をたくさんしてくれました。

ちなみに、北京外国語大学は、外国語・外国文化や国際関係、コミュニケーション論などを専門にしようとする学生のうちもっとも優秀な人たちが集まり、外交官なども多数生んでいる(というか、外交官を養成するための大学として設立された部分が大きいようです)エリート機関で、ありとあらゆる外国語が専門的に勉強できるとのことです。で、私は、「中国の少数民族の言語も勉強できるの?」と聞いてみたところ(北京に行く飛行機のなかで、加々美光行『中国の民族問題―危機の本質 』(岩波現代文庫)を読みながら行ったので興味があったのです。ちなみにこの本は論点が明快で歴史的なコンテクストがわかりやすくて、おススメです)、北京外国語大学は「外国語」を専門としているために中国内の言語は講座がない、とのこと。少数民族言語を専門にする、別の大学があって、そこには少数民族の学生もかなりたくさん在籍しているらしいです。それはそれでまた興味深いです。

残りの2日間は、その元教え子(彼女は、両親が学者だったためにブルジョアとみなされ文革のときに新疆に送られ、ゆえに彼女は新疆で育った後に北京で大学に行ったという背景の持ち主です。新疆にいるのはせいぜい1、2年のことだろうと思っていたので家には段ボールの箱を積んで荷解きもすべてしないまま、結局10年もいることになったので、彼女は子供時代といえば段ボールのイメージが強いそうです)と、私の高校・大学の同級生で今北京で金融の仕事をしている友達に案内されて、北京観光をしました。北京は英語もほとんど通じないし、いろいろなことが実に混沌としているし、メジャーな観光スポットでも近くに地下鉄が通っていない場所が多いので、言葉ができない観光客にとっては相当エネルギーを要するところです。よって、言葉ができない観光客である私は、その二人に完全に依存しきっていたのですが、おかげで短期間とはいえ、実にいろいろな顔の北京を見ることができました。中国はすでに富裕層の絶対数は日本よりも多いそうですが、確かに巨大な新しいビルが次々と建っているし、ショッピング街の様子はアメリカや日本と同じような雰囲気だし、噂で聞いていたとおり大変なエネルギーが感じられました。経済活動という意味では資本主義国家となんら変わるところはなさそうで、政治体制が共産党独裁であるということ以外に、今の中国が社会主義国家であることは具体的にどういう意味をもっているのか、もっと知りたいと思いました。そして、全般的にそうしたエネルギーが感じられ、また中国の人口を考えると、中国全体にさまざまなインフラが整備されて社会の底辺層の生活レベルが数段上昇したら、そりゃあやはり中国が世界をリードするようになるだろうと実感されました。そのいっぽうで、紫禁城などに群をなして押し寄せる(「群をなして押し寄せる」という表現がこれほど的確な場面にはなかなか遭遇するものではありません)、中国の田舎からバスでやってきている観光客(観光バスの大型版で、みな赤や黄色やオレンジの帽子をかぶり、旗をもったガイドさんについてまわる)の波を見ると、北京のスーパー富裕層がいると同時に、中国には、いわゆる文明発達段階においてずいぶんと後の地点にいる人たちがものすごい数で存在するんだということが感じられます。こんなことを言うと、19世紀末から20世紀初頭にかけて白人優越主義者たちが唱えた文明論と似たようなロジックのようですが、本当にそんなことを感じてしまうくらい、田舎から来ている中国人(それも、北京に観光に来られるくらいの人たちはそれほど貧しい人たちではないはずですから、本当の貧困層はさらにそうでしょう)の姿や言動を観察していると、近代化・都市化・西洋化といった線的な流れの力を感じずにはいられませんでした。こんなふうに、経済・文化の発展段階が極端に違う人たちをこれだけの数抱えて、かつ、言語も宗教も生活様式もまるで違う50以上もの少数民族をも抱えて、「国家」として進んでいく中国は、これから先どういう道を辿っていくのだろうと、中国におおいに注目する必要を感じました。

他にも、感じること考えることはいろいろあった旅でしたが、きりがないので、今回はこれにて終了します。