2008年12月7日日曜日

真珠湾攻撃の記憶

ハワイ時間の今日のちょうど67年前、日本がオアフ島の真珠湾を攻撃しました。1941年12月7日の攻撃によって一般市民49人を含めて2400人のアメリカ人が死亡し、さらに1000人以上が負傷しました。現在の一般の日本人の意識のなかではこの日は特筆すべき日として記憶されていないでしょうが、アメリカの歴史の記憶においては、今でもRemember Pearl Harbor!という文句はかなり生々しいもので、20世紀の歴史のなかで刻印されるべき瞬間のひとつとして残っています。(ちなみに、11月4日のオバマ氏の勝利演説でも、「我々の港に爆弾が落とされたとき」という一節がありました。)今朝も真珠湾の戦艦アリゾナ記念館では、退役軍人などを集めて67周年記念式典が行われました。真珠湾攻撃を実際に体験した退役軍人が次々と亡くなっていき、海軍と国立公園局の主催で毎年行われるこの記念式典に参加できる人も少なくなってきています。時の流れとともに、真珠湾攻撃に関する情報や解釈も変化してゆき、平和な島を「だまし討ち」した日本へのあからさまな敵対感情もおおむね姿を消しています。また、アリゾナ記念館のビジターセンターにある、真珠湾攻撃に関する展示も、現在全面的な改装が進行中で、当時の日本の政治社会状況や一般市民の暮らし、また、真珠湾がアメリカ海軍の支配下におかれる以前の先住ハワイ民にとっての真珠湾の意味や、日系アメリカ人の第二次大戦経験などにも焦点を当てた展示に作り変えられるようです。それにしても、真珠湾攻撃が、歴史的にそして現在のアメリカでどのように記憶されてきているかということを、日本人が知っておくのは大切なことだと思います。今日のハワイの新聞を参考までにどうぞ。なお、矢口祐人『ハワイの歴史と文化』(中公新書)第二章、および矢口祐人・森茂岳雄・中山京子『ハワイ・真珠湾の記憶——もうひとつのハワイガイド』(明石書店)も参考になります。