2018年3月29日木曜日

日本とのロマンス 『ニッポン放浪記 ジョン・ネイスン回想録』


出たばかりの邦訳を読んでいる友達に、「これは是非読むべき」とすすめられて、2008年に刊行された英語の原著Kindleで購入し、面白さのあまり一気に(先を読み進めたいあまり朝起きてパジャマ姿のまま昼過ぎまでずっと読み続けてしまった)読んでしまったのが、『ニッポン放浪記 ジョン・ネイスン回想録、原題 LivingCarelessly in Tokyo and Elsewhere

私は自分の研究の一環でこの著者が書いたソニーの企業史を数年前に読み、おおいにワクワクし、ある箇所では涙すら流した。企業の歴史を読んで涙するとは想像していなかった。 原著の副題がA Private Life となっているように、盛田昭夫氏や大賀典雄氏をはじめとする、 ソニーを戦後日本の経済成長を象徴する企業に育てていった人物たちに密接に迫り、ソニーの技術や経営そしてグローバル化の過程を内側から人間的に活き活きと描いた本。そしてその著者のプロフィールを見てみると、三島由紀夫や大江健三郎の翻訳を手がけた翻訳者でもあり日本文学者でもある人物で、なんと水村美苗さんともつながりがあるらしい。なぜ文学研究者がソニーの企業史を書くことになったのか、不思議に思ってさらにプロフィールを読むと、この人物、ドキュメンタリー映画の監督、CMのプロデュースなどもしているという。なんとも興味深い人物だなあとは思っていたものの、彼の他の著書はまだ手にとっていなかった。

すすめられてこの回想録を読んで、本当によかった。邦訳の帯に使われている水村美苗さんの文にあるように、「ひたすら面白い」。ニューヨークとアリゾナで育ったユダヤ系アメリカ人の青年が、ハーヴァードで勉強するうちに日本に魅せられ、卒業後1961に初めて日本を訪れて以来、何十年にもわたって日本とのかかわりを深めていく。ネイスンが日本に「深入り」していく時代は、私が今仕上げている日米関係にかんする(それ以上の具体的な内容はまだナイショ)著書で扱っている時代とちょうど重なるので、彼の目から見た日本像を垣間見るのも面白いし、彼が親交をもち一緒に仕事をするようになる、安部公房、大江健三郎、三島由紀夫、勝新太郎、勅使河原宏といった、文学界、映画界の大物たちの仕事ぶり、暮らしぶりが鮮やかに描かれている。文学、芸術、芸能といった世界の巨匠たち特有の、有無を言わせない引力やオーラに、魅了されつつ翻弄されもするネイスン。そしてまた、彼らとかかわることで、ネイスンは自分もまた大きくなった気持ちになりつつ、時に彼らとの距離や自らの立場を目の当たりにして自分を嗤う。受け入れられたい、認められたい、という気持ちが自分に強くあるのに折に触れて気づき、それをごく正直に捉えている。ネイスンは相当大きな身体の人らしいのだが、その身体的サイズと人間としての器量のサイズの差異を、自分で冷徹に受け止めていて、結果的にとても等身大で親近感の湧くネイスンの姿が浮かび上がってくる。

原題を直訳すれば、「東京やその他の場所で軽率に生きる」といったところになろうが、この「軽率」carelessというのがミソ。(この単語の意味するところは「放浪」という日本語でかなり捉えられるので、邦題はなかなかよいと思うのだが、ネイスンが放浪するのは日本だけではなく、ニューヨークやプリンストンやマサチューセッツやカリフォルニアを転々とするのも話の重要な一部なので、「ニッポン」だけに絞られてしまうのは残念だが、日本の読者に向けての本としては仕方ないだろう。) 作品であれ人物であれ、引力のあるものに出会うと素直に惹かれていき、夢中になるうちに大局を見失う。長期的計画を立てないまま興味のあることに没頭する。お金の出入りに無頓着。自分にとって大切な人間関係をおざなりにしてしまう。必然的に巻き込むことになる周りの人間への負担に配慮が回らない。などなど、彼が「軽率」であったからこそ 彩り豊かで波乱万丈な人生。それを大いに楽しみながらも、その過程で失ったものに気づき、落胆し、反省し、哀しむ。その感情の旅程を、読者もともに辿りながら、ネイスンという人間にも近づき、そして日本という社会を他の人間の目から見直すことにもなる。

男性アメリカ人の日本研究者は、日本人女性を妻にもつ人がとても多く、ネイスンも、まるで筋書き通りと言わんばかりに、まゆみさんという素敵なアーティストと結婚する。出会い、恋愛、そして結婚へのふたりの真剣で真摯な姿勢、ネイスンが彼女の家族に受け入れられていく過程は、読者の心も熱くさせる。その幸せな結婚生活はいずれピリオドを打つのだが、その原因の大きな一部であった自らの「軽率さ」をネイスンは冷静に振り返る。結婚生活はずっとは続かなかったとはいえ、まゆみさんも彼との関係を通じて大きな世界に出会い、そのなかで自分を模索し見出していったのだろう、ということが想像でき、そして、別の女性と結婚した後でも、ネイスンはまゆみさんのことを心から愛し続けているのだろうということが伝わってくる。

私にとって一番胸に突き刺さったのは、ネイスンがソール・ベローに言われた一言。それがずっと引っかかって、ネイスンはかなり長い間日本と意識的に距離をおくようになる。この部分は本当に胸が痛んだ。東洋に傾倒する西洋人の眼差しを、オリエンタリズムとかエキゾチズムズムとかと批判して片付けるのは簡単。でも、ある程度の知性と感性をもった西洋人であれば、サイードを持ち出すでもなく、東洋に対する自らの姿勢や立場を理解したうえで、自分が愛するようになった文化や社会とどのように関わっていくか、もがきながらさまざまな形で模索し続けているのだろう。異文化を専門とする生涯をあえて選択している人を軽んじてはいけない。

私が夢中になって読んだソニーの企業史の本についての記述は、該当書を読んだだけではわからない、刊行後の顛末が明らかにしていて、「うーむ」と唸らされた。このプロジェクトだけでなく、勅使河原宏との映画製作にしても、勝新太郎を追ったドキュメンタリー監督にしても、三島由紀夫や大江健三郎の翻訳にしても、ネイスンは相手の信頼や親愛を獲得する人並外れた才能とパーソナリティがあることが感じられるいっぽうで、生身の人間を題材にして作品を創造するというということの複雑さが身に沁みる。

アメリカの大学で仕事をしている私としては、映画やCMの事業が経営破綻に陥ってからネイスンが学界に戻る決意をし、カリフォルニア大学サンタバーバラ校のポジションの面接を受けるくだりも面白かった。異文化研究(アメリカにおいて当然日本研究は「異文化」研究だ)の分野においてはとくに、彼のような経歴と背景をもった人物が研究や教育に携わるのは重要なことだと思う。しかし、日本と比べても、アメリカの学界というのは、学問のディシプリンを重んじる傾向が強く、また、アカデミアが独立した「界」として存在している。そのぶん、彼のような人間にとってアメリカの大学は必ずしも居心地の良い場所ではないのではないかと思う(だからこそアメリカのアカデミアにおいてこれ以上良い環境はないとすらいえるプリンストンの職を自ら去ったわけだし)し、彼のような非正統的な道程を辿ってきた人間を疎ましく思う研究者も周りにはいるだろうと想像する。それでも、家族を再び根こそぎ新たな環境に移植し、翻訳や研究そして教育という行為に情熱を向け、新たな人生を歩もうとする彼の決意に、ドキドキワクワクする。

最終章を読んで驚いたのだが、私がかつて研究の一環として調査しようと思っていた、「現代日本文学の翻訳・普及事業」(JLPP)は、なんともとはネイスンの発案だった!それはなんとも興味深い発見だったのだが、彼がその企画の概要を作ってからの展開が、あまりにも日本的でガックリする。そして、その最終章は、ネイスンが日本滞在の最終日にひとりで高尾山を登りに行き、楽しそうにする人々の姿を見ながら、「自分はこれまで日本でいったい何をしてきたんだろう」と疎外感、孤独感、無力感を感じるシーンで終わっている。彼とは逆に何十年もアメリカにかかわってきた日本人として、涙が出そうになるし、また、彼にこんな思いをさせるきっかけを作ったのが、自民党政治と文化庁の官僚体制だと思うと、日本を代表して「申し訳ありませんでした」とネイスンに頭を下げたくすらなってくる。

この本を読むようにすすめてくれた友達が、途中で気づいて教えてくれたのだが、邦訳バージョンには、原著が刊行された後で書かれたエピローグがついている。これこそ私が読むべきだ、とその友達がPDFにしてわざわざ送ってくれた。たしかに、このエピローグを読んで大いに救われる気持ちになった。漱石の作品との「再会」、そしてそれを通じて水村美苗さんとの出会いを経て、ネイスンは日本文学そして翻訳への情熱を新たにするのだが、その過程は、まるで恋愛小説の新たな一章を読むようで、こちらの心も熱くなる。

そう、この回想録は、ネイスンと日本の恋愛物語なのだ。そして、恋愛物語は近代小説の根幹である。次々と出てくる具体的なネタがあまりにも面白いので、「どうなるんだろう」とついどんどん先を読み進めてしまうけれど、この本を文学作品としてもう一度じっくり読み直してみたら、きっといろいろな発見があるのではないかと思う。

そして、 彼の書いた三島由紀夫の伝記はとくに、そして明るい陽のあたることのなかった彼の小説も含め、彼の他の著書をすべて読んでみたいし、彼の作った映画も観てみたい。彼に私の本を映画化してもらったらどんなに面白いだろう、などと妄想が膨らむのだが、この本をすすめてくれた友達曰く、この本を読むと、妄想することからチャンスは生まれる、ということがよくわかる。たしかにそうだ。私はお金にかんして小心者なので、ネイスンのような生き方はできないけれど、妄想するのに必要なのは夢と理想だけでお金はいらない。どんどん妄想しよう。

2018年2月7日水曜日

高坂はる香『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』を読む

たいへんご無沙汰の投稿になってしまいましたが、高坂はる香さんのホヤホヤ新刊『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』を読了しました。

はる香さんとは、2009年にテキサスでクライバーン・コンクールを取材した時に知り合いました。プロの音楽ライターとして世界各地のコンクールを取材している彼女と違って、私は取材目的でコンクールを見学したのはその時が最初で最後でしたが、若い音楽家たちが人生を賭けた演奏を3週間にもわたって連日聴くという濃厚な体験を共有すると、他ではあまりない連帯感が生まれるもので、それ以降もおつきあいが続いています。そんなわけで、はる香さんが中村紘子さんの評伝を書いているということはフェースブックで前から知ってはいたのですが、刊行早々にはる香さんご本人から送っていただき、届いたその日から一気に読んでしまいました。

最初に告白しておくべき点は、著者がはる香さんでなかったら、私はおそらくこの本を手に取っていなかっただろう、ということです。というのは、私がせっせとピアノに向かっていた子供時代から、「日本のピアニスト」=「中村紘子さん」というくらい彼女の知名度は高かったにもかかわらず、私はピアニストとしての中村紘子さんに興味を持ったことがなかったのです。子供時代から大学時代まで、それなりにコンサートに出かけたり録音を聴いたり演奏のテレビ中継を見たりはしていたのですが、中村紘子さんにかんしては、生演奏を聴きに行ったこともなければ、レコードやCDを買おうと思ったこともないし、テレビで演奏を観た記憶もほとんどないという始末。それは一体なぜだったんだろうと考えながらこの本を読んだのですが、読んでいるうちに、音楽をある程度やっていたにもかかわらず中村紘子さんに興味を持たなかったという人間は私だけではないらしい、ということもわかり、となるとますます、それは一体なぜなんだろう、という気持ちが膨らんでくる。そして読み進めるうちに、あれはもしかしたらこういうことだったのかも、といろいろな思いが浮かんできて、実に多くのことを考えさせてくれる、素晴らしい本でした。

なんと言っても、はる香さんの、冷静でありながら常に温かい視線、対象への リスペクトとシンパシーを持ち続けながら、そして取材・執筆の過程でそうした思いを強めながらも、単なる偉人伝にならない分析的な著述に、感動し、多くのものを学びました。あれだけ影響力の大きかった有名人が亡くなって間もない時期に評伝を書くというのは、いろんな意味で難しいと思うのですが、そうした距離感も見事だし、中村紘子さんとはる香さん両方の人間性が滲み出る文章になっています。

本で扱われているテーマは、紘子が「中村紘子」になるまでの生い立ちや教育(こういう細かい点についての執筆者としての悩みがよくわかるので、読みながら思わずはる香さんにメッセージを送ってしまいましたが、第1章では「紘子」、第2章以降では「中村紘子」で通す、という選択に、「そうだな〜、きっと私もそうするだろうな〜」と思いました)、 プロの演奏家としてキャリアを確立する過程、レパートリーや演奏スタイル、業界でのリーダーシップや社会でのアドヴォカシー、日本そして世界におけるピアノ界の現状と将来など。そして、中村紘子さんの道程を辿ることで、戦後日本の社会や経済の歩みが鮮やかに伝わってくる。情報豊かでかつとても読みやすく親しみやすい文章で、ピアノがとくに好きでなくても「中村紘子」という名前やその顔(カレーのCMを通じてでも)を知っている人なら大いに興味を持って読める内容になっています。

実に自分勝手な読みかたではあるけれど、私が読みながら個人的にとくに気づかされたこと、考えさせられたテーマがいくつかあります。

その最大の点は、子供時代から成人期にかけての私にとって、「中村紘子」とは、「日本人」「女性」「ピアニスト」というカテゴリーの円が重なった部分を象徴した存在だったのだ、ということ。(以前の投稿で書いた「インターセクショナリティ」という概念の議論で「ピアニスト」というカテゴリーが出てくることはあまりないけれど、それを入れて考えると、私にとっては非常に納得がいく。)「日本人」「女性」「ピアニスト」というそれぞれのカテゴリーが何を指すかは、中村紘子さん自身の意識や生き方とは別個に、社会や文化によって構築された意味づけによるものだけれど、中村紘子さん本人も、時にはそれを意識しながら、時にはそれに反発しながら、日本人であり女性でありピアニストである自分のあり方を模索しながら堂々と生き切った人物であった、ということがよく伝わってくる。

とりわけ、女性としての中村紘子について書いた部分が私にはとても興味深かった。

私があるとき、きわめて意識的に、音楽大学を受験しない決意をした理由の大部分は、フェミニストとしての意識が芽生えつつあった私にとって、「音大生」(当時の私にとって「音大生」といえばピアノ科や声楽科の女子学生と同義だった)や「ピアニスト」、あるいは「ピアノの先生」という言葉から浮かぶ女性のイメージが、まるで魅力的でなかったから、というのが正直なところ。音大生やピアニストがフェミニストではないなどという根拠はゼロだし、そんなことで音大進学をやめるくらいだったら音楽への思い入れはそれほどなかったのだろうと言われれば、「おっしゃる通りでございます」としか答えようがないのだけど、実際にそうだったのだから仕方がない。とにかく当時の私には、音大生といえば、長い髪をクルクル巻きにして、お姫様ドレスを着て、ピアノにしなだれかかって写真を撮り、家柄も学歴も収入もよい婚約者がいる、といったイメージしかなかった。子供時代はそのイメージに憧れたことも(少しだけ)あったのだろうが、桐島洋子やら(この本で中村紘子と桐島洋子の対談が引用されているのが面白かった)ボーヴォワールやら(桐島洋子とボーヴォワールを同列に論じることができたのは中学生の強みである)を読んで、自立した女性として生きる決意をしていた私には、そのイメージが日に日に気色悪いものに感じられるようになっていったのだった。そして、その頃は(というか、二日前までは)具体的に意識したことはなかったけれど、その漠然と抱いていたイメージ形成に、中村紘子さんはかなりの影響力を及ぼしていたのではないだろうか、ということ。常識的に考えても、そしてこの本を読んでも、中村紘子さんが「自立した女性」であったことは明らかだし、私の人生の選択を中村紘子さんで説明するつもりはまったくないけれど、この本を読んでいるとなんだか妙に自分の人生が理解できた気がしたのです。

もう一点考えさせられたのが、「日本人」ピアニストということの意味。N響世界公演やクライバーン・コンクール出場の際、外務省の要請あってなんと振袖姿でコンチェルトを演奏したという時代、東洋の後進国がよくこれだけ西洋音楽を演奏するものだと感心された時代に、ピアニストとしてのキャリアを築いた中村紘子。そして、ジュリアードで勉強し国際コンクールで上位をおさめ海外での演奏経験も積みながら、結局は日本を拠点とすることを選んだ中村紘子。読みながら、彼女がキャリアを築いた時代はもちろんだけれど、現代でもやはり、どんなに才能のある人物でも、クラシック音楽の世界において、日本を拠点とし続けながら国際的に認知される演奏家として活動を続けていくことは、驚くほど難しいのだろうということを再認識する。(実際、日本国内ではあれほどの有名人であった中村紘子さんは、日本の外では音楽界でもほとんど無名。あれだけ各地でコンクールの審査員を務めていたから、コンクール関係者のあいだではよく知られていただろうけれど、演奏家としての中村紘子という名前を知っている人は珍しい。)若い頃から海外からr来日する音楽家の指導を受けたり 国際コンクールに出場したり留学したりして、国際的な場で多様な研鑽を積むことは、今ではそう珍しいことではないし、そもそも、どこの出身の音楽家であれ、演奏家として食べていくためには年の大半を家から離れて街から街へと旅しながら 公演をしなければいけないのだから、帰る家がどこの国であろうと理論的には無関係なような気もする。それでも、日本に拠点を置いたまま国際的に演奏活動を続ける音楽家がほとんどいないことを考えると、やはり世界的音楽市場へのアクセスというのはまだまだ不均衡なのだろう。

そうしたことを十二分に認識・経験しながら、あえて日本を活動の基盤とすることを選び、日本のピアノ界を牽引することをミッションとして生きた中村紘子。浜松国際ピアノコンクールやアカデミーでの彼女の役割については知っていたし、私が唯一中村紘子さんに会ったのは8年前に研究の一環で見学に行った文化庁のとある審議会で 彼女が発言していたのを見たとき(そのときに、簡単に自己紹介してクライバーン・コンクールについての私の著書を差し上げたのだが、いきなり話しかけた私に温かくかつ驚くほど率直な話をしてくださった思い出が、この本に描かれている中村紘子像とよく重なる)なので、その役割はなんとなくわかっていたつもりだった。でもこの本を読むと、小さな地方都市に公演に行っても、演奏をしてさっさと帰ってくるだけでなくその場所の音楽文化を育てることに貢献しようと積極的にかかわる姿とか、音楽大学に教授職をもたないまま日本の音楽教育にさまざまな提言や問いかけをする行動力とか、若い音楽家をときには泣かせてしまうほどの真剣な指導とか、その影響力は私が想像していたよりずっと大きかったのだということがわかった。次世代を育てる、自分の後に残るものを築く、ということについて、自分ももっと意識的に考えて注力しなくては、と素直に思わされた。

他にも、ハイフィンガー奏法への批判(私はまさにそのハイフィンガー奏法で教わった日本人生徒の典型です)とか、左手でショパンの幻想即興曲を弾きながら右手でスクランブルエッグを作る映像(これについてのはる香さんの記述が絶妙で思わず拍手)とか、庄司薫との結婚生活とか、コンクールの人間関係とか、コメントしたいことはたくさんあるのですが、キリがないのでこのあたりでおしまいにします。いろんなことを感じたり考えさせたりさせてくれる、とっても満足度の高い一冊ですので、みなさん是非ご一読を。
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2017年11月14日火曜日

3.11、日本語の世界と英語の世界、そして『母の遺産』の二つのエンディング

先週はAmerican Studies Associationの年次大会でシカゴに行ってきました。大きな湖に面し高層ビルの合間をとりわけ冷たい風が吹き抜けるので有名なシカゴは、連日氷点下で雪まで降る始末。 到着して慌ててユニクロに駆けつけヒートテックやらダウンのベストやら毛糸の帽子やら手袋を買い込みましたが、最近はロスでさえ寒いと感じている私は、連日会議やらセッションの司会運営で忙しかったのを口実に、結局5日間ほとんど学会会場のホテルを出ずに終わりました。

さて、しばらく前に依頼されていたエッセイがオンライン媒体に掲載されましたので、ご紹介しておきます。水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』の英訳をしたことがきっかけで声をかけていただき、「海外(ここでいう「海外」とは「アメリカの外」という意味です)の文学、作家、言語活動などになんらかの形でかかわるものなら内容は問わない」ということだったのですが、依頼を受けてすぐに、3.11のことを書こうと頭の中で決まりました。3.11を日本で体験したことは私にとって決定的なインパクトをもち、また、あの時に感じた日本と世界の関係、とりわけ「日本語の世界」と「英語の世界」の関係については、いずれじっくり考えて文章にしたいと思っているのですが、このエッセイの依頼を受けたことでそれに向けてのごく小さな一歩を踏み出すことができました。

とはいえ、いざ書き出してみると、あの時期に感じたことは今でもほとんど身体的なレベルで思い出すものの、それを整理しようとすると何が言いたいのか自分でもわからなくなってきて、短い文章なのに(いやむしろ「短い文章だから」というべきか)、まとめるのにけっこう苦労しました。でも、私にとって、「『日本語の世界』と『英語の世界』」というテーマは、水村さんの一連の作品と密接に結びついているので、こういう形で自分の体験と水村さんのお仕事を結びつけることができたのは嬉しく思っています。英文ですが、3.11を扱ったもので、学術的な文章ではない(ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』について知っていたほうが後半は理解しやすいですが)ので、日本のみなさんにも読んでいただけたら嬉しいです

さて、このエッセイを書く過程で、とても興味深い事実を発見しました。

水村さんの『母の遺産』の単行本が発売された5年前から今までのあいだに、 私は親しい友達を病気で亡くしたり、自分の遺言その他の手続きをしたりしたこともあって、今回読み直してみると初めて読んだときとは違った感動がありました。とりわけ感じ入るのが結末の部分。主人公美津紀の優しさと高潔さ、勇気ある決断に心打たれ、姉奈津紀との関係に「私にもこんなお姉さんがいたらな〜」と単純に羨ましくなり、母親への交錯する思いに涙し、と、小説の文学的な取り組みとは別次元の個人的感情移入で反応してしまうのですが、幅広い読者にそのような感情移入をさせるところこそが小説の醍醐味でもあります。

そして、この小説が3.11で終わっているところがなんともすごい。美津紀ががんじがらめになっていた困難から 解放され、新しい人生へ踏み出そうという矢先に、3.11の衝撃と混沌が降ってくる。そしてその後の桜の開花をみて、これからの人生への勇気を得、これまでの人生を受け入れ、「自分は幸せだ」という認識に至る、という形で結末を迎える。この小説のもとの讀賣新聞での連載は20114月に終わっており、つまり、水村さんがこの作品を執筆していたときには、東日本大震災が起こるなどということは知る由もなかった。日本があんなことになるとは想像すらしないなかで構築された小説なのに、3.11がきわめて必然的な結末となって完結している。驚くほどのリアリティをもって「日本の今の現実」を描いたこの連載小説が結末を迎えると同時に、その読者も美津紀と同じように、これからの人生、これからの日本に向かって勇気をふりしぼって歩みだしていく。これぞ新聞小説だ〜!

と再度感激していたのですが、なんと!

エッセイを書く過程でこの小説を最近読んだ友達とやりとりしていたら、どうも話がかみ合わない。おかしいなあとお互い思いながら、もしや、と確認してみると、なんと、私が読んだ単行本バージョンと、彼が読んだ文庫本バージョンでは、少しだけ、でも決定的に、エンディングが違っていることが判明!

2012年発売の単行本バージョンでは、上記のように3.11への言及が直接的になされているのに対して、2015年発売の文庫本バージョンでは、3.11への言及はなく、美津紀が引越し先のマンションの窓から桜が咲いたのを見るところで終わっている。

それはそれで感慨深いのですが、3.11のときの自分の思いを美津紀に重ね合わせていた私としては、3.11に言及することないあの小説の終わりかたがあるということ自体が衝撃。エッセイを書いていたときには、小説が3.11で終わるということを前提に書いていたので、Juliet Winters Carpentersさん(「日本語が亡びるとき」を一緒に英訳したかたです)の英訳はどちらのバージョンなのか(英訳もハワイにあるのですが、今いるロスに持ってこなかったのですぐ確認できなかったのです)、なぜ3.11への言及を文庫版で削除したのか、水村さんご本人に問い合わせてみました。すると、

当然のことながら、東北大震災は小説の当初の構想には入っていなかった。それがちょうど連載が終盤を迎える頃に震災が起こり、当時のどのメディアも東北大震災一色だったので、「今」を扱っている新聞小説でそのことを扱わないというのはおかしいように思ってああいう結末にした。だが、時間が経ってみると、3.11への言及はやはり浮いてしまったような印象を持った。美津紀の、控えめながら前向きに生きていこうという認識は、その前に小説内のロジックで達している認識であって、3.11は必要ない。また、3.11以来他の作家がこぞってそれについて書いていたので、それが他人の不幸を搾取しているようにも感じられ、それを避けたいという思いもあった。そう思って文庫版では削ってしまった。

とのことでした。


そう説明されると納得するのですが、さまざまな立場で3.11を経験した日本の読者の多くが、美津紀に身を重ねてあの結末に勇気を得ていただろうと思うと、削られてしまったのは少しもったいないようにも感じられる。3.11への直接の言及があるのとないのとでは、小説全体の示唆するところが微妙に違うようにも感じられる。いずれ、「『母の遺産』のふたつの結末」についてエッセイを書いてみようか、などと思ってしまうのは、研究者・物書きとしての職業病的性質でしょう。『母の遺産』を未読のかたにはちょっとネタバレになってしまいましたが、既読のかたには、自分の読んだバージョンとは違うエンディングがあるということを知って、どう感じられるでしょうか?

2017年10月17日火曜日

日米のエリート大学比較 佐藤仁『教えてみた「米国トップ校」』

前回の投稿から再び長い時間が経ってしまいましたが、その大きな理由は、サバティカルのため8月末からロスアンジェルスでの生活を始めたからです。ロスアンジェルスといっても、住んでいるのはダウタウンから30マイルほど南下したところにある、世界最大の港であるロスアンジェルス港の目の前のサンペドロという町。戦前は日系移民の漁師がアワビを採っていたという歴史のある場所です。ホノルルとロスではありとあらゆることが大きく違って、考えること感じることが多く、時々違う環境で暮らしてみるというのはいいことだなあと、サバティカル制度のありがたみを再認識しています。

サバティカル制度が定着しているのが、研究大学と呼ばれるアメリカの大学の特徴のひとつですが、その関連で、昨晩から今朝にかけて一気に 読んだのが、佐藤仁『教えてみた「米国トップ校」』(角川新書)。この本、友達がフェースブックで勧めていたのですが、タイトルや帯の文句、目次に並んだ小見出しを見て、「うーむ、いろいろと文句をつけたくなりそうな本だなあ」と思っていた。いや、正直に言って、タイトルと帯だけで判断していたら、読まないことにしていただろう。なにしろ帯の文句は、「東大vs. アイビーリーグ 6勝4敗で東大の勝ち!?」。私自身の出版経験からいっても、 読者の目を引くために、帯の文句というのはあえてセンセーショナルに、小見出しというのも、丁寧な議論は差し置いてとにかく面白そうに、編集者や広報部がつけるものだ、というのは わかっているけれど、これはいくらなんだってえげつない。客員教授で授業をいくつか教えた経験と主観的な印象だけで乱暴な一般論を展開して、「やっぱり東大は世界に通用するんだ」などと言って日本の読者の愚かな愛国心を煽る本なんじゃないか、と勝手に想像していた。

でも、本の評価については(いや、本だけでなく映画や演劇や音楽その他人生全般についても)全面的に信頼している友達のオススメなので、タイトルや帯への生理的反応をあえて押し殺して、読んでみる(親切なことにその友達がわざわざ日本からロスに送ってくれたのです)ことにして本当によかった。Do not judge a book by its coverとはまさにこのこと。東大の東洋文化研究所教授である文化人類学者の著者(私と同い年で、同じ時期に駒場の教養学科に在籍していて、おそらく同じ授業を受講したこともあると思うのですが、直接の面識はありません)が、縁あってプリンストンで数年間客員教授として授業を教えた経験をもとに、日米それぞれでトップのエリート校とされている大学を比較したもの。東大を卒業してからアメリカの私立大学で博士号を取り、その後20年間州立大学であるハワイ大学で仕事をしている私としては、「『アメリカの大学』とかって乱暴に言われると困るんだよねえ」とか言いたくなりそうな見出しが目次に並んでいる。 しかし、読んでみると、いやはやそんな先入観をもって臨んだワタクシが悪うございました、と謝りたくなるくらい、著者の個人的な観察だけでなくいろいろなデータに基づいた、きちんとした議論がなされている。私自身が個人的な観察以外のなんの裏付けもなく抱いていた印象を覆すような情報もあり(例えば、東大生の親の平均収入は一般的には確かに高いが、年収750万円を下回る家庭からの出身者が2014年で3割を占めている、など)、勉強になった。入学審査の仕組み、カリキュラムや授業のありかた、学生の勉強への姿勢や時間数、教員の仕事のありかたなどについての、日米の大学比較は、とても丁寧になされていて、経験と観察から私がおおむね知っていたことでも、「そうそう」と頷きながら読んだ。

アメリカの大学のほうが圧倒的に優れている点(例えば、学生が一学期に受講する授業の数が少ないぶん、 要求される予習復習の量が多く、それぞれの授業の内容が質量ともに多いこと。「正解」を出すことだけではなく、提示された情報や議論に食いついて自分なりの議論を展開し、主体的に知を追求しようとする学生が多いこと。図書館司書やライティングセンターなど、 教育活動をサポートするリソースやシステムが充実していること。大学運営にまつわる事務作業の多くが、それを専門とするプロの職員に任されていること、など)については、「その通りでございます!」と拍手したくなる。

そのいっぽうで、プリンストンと比べて東大のほうが優れている点として挙げられていることについても、同感することが多かった。そのひとつが、学生と教員の距離。大学院生、とくに博士課程の学生については、コースワークと呼ばれる授業を超えて何年間にもわたってかなり綿密な個人指導をする(しない教員もかなりいるが)のでそうは思わないが、学部生と教員の関係については、私自身の経験で言えば、日本のほうが密、というか、パーソナルな感じがする。ゼミ合宿や飲み会といったセッティングの中で学生が教員と接する機会が多く(そもそもアメリカでは飲酒にかんする法的規制が強いので、大学教員が学部生と一緒にお酒を飲むということはほとんどない)、授業やオフィスアワーでの関係を超えて、ひとりの人間としての教員に触れることは、日本のほうが多いと思う。前の投稿で著書を紹介した亀井俊介先生は、私の学部時代の恩師で、卒業後25年以上が経過した今でも個人的に親しくしていただいているが、そういう関係はアメリカの教員と学部生のあいだではずっと少ない(教育を主眼においているリベラルアーツ・カレッジでは状況は違うと思う)。もっとも、著者の佐藤さんも私も、東大のなかでもカリキュラムが少人数授業中心となっている教養学科の出身だからとくにそう感じる、という要素はあるかもしれない。(東大でも、研究職に進んだ人は別として、 卒業後も長年にわたって学部時代の教授と個人的な関係をもっている法学部や経済学部の出身者はあまり知らない。)

アメリカの大学の問題点についても、深く共感。例えば、アメリカの大学における給与や報酬体系の理不尽さについては憤慨することが多く、私自身新聞記事で言及したことがある。 なにしろアメリカの大学ではまず、学部や分野によって給与のレベルがまるっきり違う。そして、いわゆる教員の「スター性」で採用時の契約内容がかなり違うし、教員のほうは、他の大学からのオファーをもらうことで昇給の交渉をしたり、研究その他の成果をそのまま給与に反映させようとして画策したりする。つまり、えげつなく徹底した資本主義的市場原理で大学教員の待遇が動いている。そんなのおかしいじゃないか。論文や学術書の執筆というのは、給料が上がるからするものではなくて、研究に情熱を抱いているからするものであって、その成果が形になって学界や世間で評価されればそれでじゅうぶんではないか。権威ある賞を受賞した人に何らかの金銭的な報酬を大学が出すのはある程度は自然なことだとも思うけれど、給与を上げることに画策する時間や労力があったら、肝心の研究に当てたい。そんな姿勢でいると、実際に給与はいつまでたっても低いままで、何年も、下手をすると何十年も後に入ってきた若手の教員のほうが自分より高い給与をもらっていたりする。 そんな状態は、学問の場としておかしいじゃないか。そしてまた、ふだんハワイ大学という、財源貧弱(といっても、回っているところにはどうやら結構回っているらしい、ということもわかってきた)な州立大学でふだん仕事をしていて、裕福な私立大学である南カリフォルニア大学でこの一年間を過ごしている私は、同じ「大学」という名前で呼ぶのもちゃんちゃらおかしいと思うくらいの大学間格差を目の前に突きつけられて、こんな状態は一国の高等教育制度として持続可能であるはずがない、とも強く感じている。というわけで、急速なネオリベラル化によってプリンストンのような極端に潤沢な名門私立大学さえじわじわと浸透しつつある大学の「会社化」を扱った第3章には、「そうそう、そうなんです!」と言いたくなる箇所がたくさんあった。

そして、私がやはり一番嬉しかったのが、本書は、日米の大学のありかたの比較(それ自体も面白いけれども、それだけでは「ふーん、なるほどねえ」で終わってしまう可能性もある)ということだけでなく、第4章では、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』の議論をふまえて、言語と学問の関係をしっかりと考察し、研究や教育の本質を考え、大学の「グローバル化」とはなにかという問題提起をしていること。単にアメリカの名門校のやりかたを真似したり、世界ランキングを上げるための表面的な制度改革をしたりするだけでは、日本の大学教育をめぐる根源的な問題は解決しない。日本の大学でだからこそできる学問のありかたを真剣に考えた上で、日本にも世界にも発信し貢献していけるような力をつけるための「心の開国」を促進する場に なるためには、日本の大学は何をしなければいけないか。その問いに、この本は真正面から取り組み、本質的でかつ具体的な提言をしている。著者の手を握りしめて、頭を上下に振りながら、「おっしゃる通りです!さあ、一緒に頑張りましょう!」と言いたくなる。

欲を言えば、もっと突っ込んで書いてほしかった、と思う点もある。とくに、アメリカの大学の入学審査における学生の「多様性」、とくに人種の問題は非常に複雑だ。「多様性」の追求が入学審査において具体的にどういう形をとるのか、そしてそうした入学審査のありかたがどういう議論を巻き起こしているのか、といったことを、歴史的、社会的、法的背景を含めてもう少し説明してほしかった。また、東大の学生そして教員の男女比率の問題についても、もっと議論してほしかった。そもそもなぜ大学が「多様性」を追求する必要があるのか、そもそも「公平」な入学審査とはなにか、そもそも大学のミッションとはなにか、といった議論に直結する問題だからだ。

また、 東大とプリンストンが日米それぞれの高等教育界においてどういう位置づけにあるか、そしてさらに、大学教育そのものがそれぞれの社会においてどういう位置づけにあるか、という文脈をもう少し説明してほしかった。真面目に勉強する「優秀な羊」が多いプリンストンの学生と比べて、東大生のほうが奇妙奇天烈な変わり者が多い、という観察は、一概には否定しない。ただ、なぜ一般的にアメリカの大学生のほうが日本の学生よりも授業の勉強や好成績を収めることに熱心なのかについては、卒業後の進路において大学での勉強がどのように評価されるか、を論じなくては不十分だと思う。(この点に関して、日本の就職活動のありかたについては、強く物申したいことがあるので、別の機会に書こうと思います。)


と、あれもこれもと言い出せばきりがないけれど、この本、なんと言っても、著者の知性や感性に加えて、学問や教育に対する真摯な情熱、 日本の大学そして社会がよいものであってほしいという素直な願望、謙虚で誠実な人格が伝わってきて、ぜひいつか、お食事をしながら日米の大学についてじっくり語り合いたい、という気持ちにさせられる。読むことを勧めてもらって本当によかった、という気持ちを世の中に還元するために、ここで強くオススメしておきます。

2017年8月6日日曜日

『亀井俊介オーラル・ヒストリー 戦後日本における一文学研究者の軌跡』

前投稿からまたしても長い間が空いてしまったおもな理由は、ここ4年間夢中になって取り組んできた研究・執筆の大詰め段階に入っており、それがなかなか大変なことになっているからです。その研究のために、5月には2週間シドニーに出かけ、そのあとで必死になって執筆(というよりも、原稿の全面的な書き直し)作業をし、さらに、つい数日前まではまる1ヶ月間日本に滞在していました。東大駒場キャンパスや上智大学でさせていただいた講演、北海道大学サマーインスティテュートでの集中講義パシフィック・ミュージック・フェスティバルとの協働プロジェクトなどの仕事に加えて、親族会議やらなにやらでたいへん忙しい毎日でした。日本で感じたこと・考えたことで、いろいろと書きたいこともあるのですが、今回の投稿では、私の大学時代の恩師である亀井俊介先生の『亀井俊介オーラル・ヒストリー 戦後日本における一文学研究者の軌跡』の紹介をいたします。

私は亀井先生が30年間教鞭をとっていらした東大教養学部での最後の教え子のひとりで、以来それはそれは温かく見守っていただいています。(私の『性愛英語の基礎知識』は亀井先生に捧げてあります。)今回の帰国中はあまりにも私のスケジュールがいっぱいでお会いできなかったのが心残りですが、代わりにと言っては何ですがこの『オーラル・ヒストリー』を買って持って帰ってきました。ちびりちびりと味わいながら読もうと思って今朝本を開いたところが、あまりにも面白くて一日で一息に読了してしまいました。

先生が東大退官後長年教えていらした岐阜女子大学のデジタル・アーカイブス・プロジェクトのひとつとして、口述形式で語られた学問的な自伝を編集したものなので、亀井先生特有の語りかけ文体になっていて読みやすい、というのも一因ではありますが、それもさることながら、なんと言ってもやっぱり内容にグイグイ引き込まれる。先生の研究の軌跡の概要は知っていたつもりの私にも、新鮮な驚きや感動がたくさんありました。そして、なぜ自分が亀井先生の教え子となったのか(別に先生に選ばれたわけではなく、文学合宿やら飲み会の幹事をやったり、卒論のトピックを選んだりする過程で、自分から勝手に亀井先生の教え子になったのです)を、あらためて振り返るきっかけになりました。

印象深かったことをいくつか挙げると…

小学校卒業の寄せ書きに「見敵必殺」と書いていた岐阜県中津町の軍国少年が、敗戦を経て急転換して文化少年になり、その様子を読んで想像するだけでも鳥肌が立つような勢いで、英語や英文学を勉強するようになる。その大転換について、先生はこう書いている。
「アメリカというものが敵にしろ味方にしろ一つのリアリティであるということを、自分の生ま身でもって感じたことですね。肯定するにしろ否定するにしろ、現実にわれわれの生活を、いや精神までも反転させる力を持った存在であって、決して頭の中でひねくり回せるような抽象的な存在ではないということです。最近のポスト・モダニズムなんていうのは、そういうアメリカを抽象化してしまった議論を展開している傾きがある。それは少なくとも僕の実感とは違う。アメリカはリアリティである、しかもワンダーを持った、正体がよく分からないけれども何かすごいなあという存在、そしてこちらの「生」を突き動かすような存在なんです。だからこそその実態を、本質を知りたいという気持ちをかき立てられるんですね。アメリカの持っているワンダーを追究したいという気持ちが、僕には今までずっと一貫してあったと思います。」(261)そう、だからこそ、亀井先生の語るアメリカは、文学であれ社会であれ性であれ、日本の他の研究者にはめったにない、血の通った人間臭さがある。(なんと言っても、本書の中で川本皓嗣先生も書いていらっしゃるし、私自身何度も目撃したことですが、亀井先生は本当にアメリカのあらゆる街に「アッシー女性」がいるんですから…)

東大英文学科から院の比較文学科(この選択について先生が振り返った部分もとても面白い)を経て、セントルイスのワシントン大学に留学した時の二年間を「僕の生涯で最も充実した二年間であった」(49)と言い切っているのにも一種の感動を覚えました。はじめて実地で体験するアメリカで、文学だけでなく文化を必死になって勉強し、アメリカの人間の息吹を直に感じ取ったその時期が、先生の研究者としての基盤になっているんだなあと、あらためて感じ入りました。

そして、今さらながら、先生の学問への真摯で実直な姿勢にも感銘を受けました。文学や文化への素直な感動を忘れ、抽象的な理論やこむずかしい学術用語を振り回した、学問のための学問を、亀井先生は嫌い、そうした批判をこの本の中でも何度もしています。が、それと同時に、この本のサブタイトルで自分のことを「一文学者」と呼んでいるように、先生はあくまでも自分が研究者、学者であることを、実に真面目に考えている。そして、一般の読者に感動や面白さや「ワンダー」が伝わるような、自由で自分らしい文体で著述することを強調するいっぽうで、「学者の生命は論文だ」(78)「僕の場合はやっぱり勝負の場は論文ですね。学者の役割はいろいろあるけど、しっかり論文を書くのが基本だと思っております。自分で論文を書いていないと、大学院の場合、ちゃんとした指導ができないんじゃないかしら。理屈だけで学生の論文を指導しようとしても、うまく指導はできないだろうと思う。自分が論文書いて、苦労したり、失敗したり、いろいろなことをして、そういう経験を踏まえて論文指導というものが成り立つんじゃないかと、僕は思っております」(88)と、優しい言葉で断言する。そして、学士院賞を受賞した初期の『近代文学におけるホイットマンの運命』から最近の『有島武郎 世間に対して真剣勝負をし続けて』まで、文体は実にやわらかで読みやすい(それはそれは驚くべき数の)著書においても、きわめて地道な、実証的な調査と分析をしている。このあたりでもう、「ははあ〜」とひれ伏したい気分になってきます。

それと同時に、そのやわらかで読みやすい文体が、先生の頭からペンを経て原稿用紙へとサラサラと流れていくわけではけっしてなく、これまたひれ伏したくなるような精力的な努力と緻密な推敲がなされてこそ生まれているのだ、ということも本書は教えてくれます。インタビューの部分で亀井先生の文体について何度も触れられていることからもわかるように、研究者を含む読者にとって、亀井先生の著述の魅力のかなりの部分が、まさにその文章にあるのですが、そこに込められた先生の思いと努力を知るに、「すみませんでした、出直してきます」という気持ちにさせられます。

文学史という研究の営みについての先生の思いもスゴイ。師曰く、「文学史というものは、学者が自分の知性と、感性と、それに自分の「生」を懸けて、一国の文学の精神だとか精神の展開だとかを考察するわけですから、これは一種の思想の営みだと僕は思う。そしてまたその本を執筆した人の生の証言、時代の証言でもあると思うわけです。」(194)こういう覚悟をもってアメリカ文学・文学史に取り組んでこられた先生のもとで、学部時代に「アメリカの文学」の授業をとった自分の幸運をしみじみと噛みしめます。あの頃、それなりに勉強はしていたつもりだけれど、うーむ、やっぱりもっと真面目にやっていればよかった、とも…

そして、個人的には、「本格小説」としての有島武郎についての部分がゾクゾクしました。実は、先生が有島武郎の評伝を執筆中に、『本格小説』をはじめとする水村美苗さんの著作を先生に紹介した(紹介した、というよりは、「先生、これ読まないとダメです」とアマゾンから一箱送りつけた)のは私です。こういう形で水村さんが捉える「本格小説」が亀井先生の有島研究とつながり、さらには「戦後日本における一文学者の軌跡」の一部となる、というのは、私にとっては筆舌に尽くしがたい感動です。

他にも、書きたいことはたくさんあるのですが、この本を読むと、「さあてと、私も負けずにしっかり研究に取り組まねば!」という気持ちになるので、このへんで切り上げて、自分の執筆に向かうことにします。来週、亀井先生は85歳の誕生日を迎えられます。おめでとうございますのラブレターを書く前に、この本が読めて本当によかった。